この本の存在を知ったのは、民謡教室の仲間からでした。 以前、ブログで「戦果アギャー」について書いた事を彼に話した時に、その話、本で知っているというのです。 どんな本と聞き、借りたの …続きを読む→
4月1日(日)、池之端で花見をしました。 一生会と名付けて、メンバーは12名、全員が揃うことは難しく、参加は5名。 昭和40年入学だから、半世紀以上の付き合いとなりました。 その間 …続きを読む→
去る1月13日、蒲田に住んで居る同級生を見舞うことに。 切っ掛けは、年賀状に大病と注釈があり、元旦早々、電話し状態を訊くことに。 電話から聞こえてくる声に張りはないが、元気な様子で …続きを読む→
横綱相撲の取り口は、一言で言えば受けて立つ「後の先」の立ち合いをする事。 近代になって言われ出したように思います。 なんと言っても69連勝の「双葉山」の取り口が横綱相撲の理想とされ …続きを読む→
今年も参加、川越市駅から本川越まで、区画整理で距離が短くなり、計ってみると5分ほどで行けた。 川越プリンスホテル3Fプリンスホールへと。 クロークで外套を預け受付へ向かうと大勢の方 …続きを読む→
暮れにBS番組を確認すると、黒澤明監督の映画を特集する番組表を目にし、そこに「七人の侍」が載っていたので、観ることに。 最初に見たのが、高校生の頃、池袋駅東口、都電通りに面した映画 …続きを読む→
テレビのバラエティ番組、こぞってこの騒動をとりあげ、司会者が芸人のコメントなどを聞きその判断をあれこれと面白、おかしく題材にして番組を構成しています。 世界情勢を鑑みれば、こんな話 …続きを読む→
このフレーズ、三波春夫の言葉としてあまりにも有名です。 使われ出したのが昭和30年代半ば頃らしいです。 いつだったか忘れましたが、テレビ番組で三波春夫がインタビューに答えてその真意 …続きを読む→
塗料ディーラーからお知らせがありパンフレットを観ると、当社の塗装ブース(NCLフレッシュシステム)(株)ユーブィ・テクニカの名があり、そして塗装メーカー、塗料メーカー、塗装機・設備 …続きを読む→
追悼出版「知の巨人」ラストメッセージと銘打って著した「知の湧水」、戦後の教育で育った私等の時代と、昭和5年(1930)に生れ、そして15、6歳で終戦を迎えた渡部昇一氏、勉強された内 …続きを読む→