「権威 苦難の同胞に贈る 七篇『日本の姿』」著者後藤静香(せいこう)

この詩集、著者は後藤静香(せいこう)、社会教育家として活躍された人物です。
今では知る人も少ないでしょう。
日本が敗戦で打ちのめされた状況から復興を目指し頑張ばれとエールを送った詩集です。

発行が昭和21年7月20日、酸性紙なのか78年年を経て傷んだ来ました。

何故こんな古い本を持っているかというと、母が人生の師と仰いだ方が、母が亡くなった後、師の知り合いを父の後添えにと仲人をしたので、その後の様子見と、大阪から上京し父を訪ねて来られたのです。私はお会いするため父の家に出向き挨拶した折、読んでくださいと下さったのです。
父母ともに人生の助言を、師から頂きながら若い頃過ごしていました。
そんな縁から倅の私を気にかけて下さり、この詩集を持ってきてくれたのです。

 

七 日本の姿
剣(つるぎ)を棄てた
それでいい
剣を棄ててこそ
真の日本の姿がひかる
神話は神話だ
それでいい
神話に宿る魂に
真の日本の姿がひかる
三千年の歴史が汚れた
悲しむな
これから作る永い歴史に
真の日本の姿がひかる

読みやすく記述しました。

タイトルにあるように、大東亜戦争で敗戦し、世の中が混乱し明日の生活に困窮している同胞を元気づけよと書いた『詩 日本の姿』))。
戦後の状況を示す、「剣を棄てた それでいい」の一節、占領軍の指令により武装解除をさしているのかな。
「剣を棄ててこそ 真の日本の姿をひかる」軍国日本を改めることが、いい国になると言っているのか?

さて、ここからの詩の意味を、折に触れ訪れた人に聞いてみると全く理解が出来ないのです。

「神話は神話だ
それでいい
神話に宿る魂に
真の日本の姿がひかる」

戦前までは学校で皇統(皇室の歴史:神話)を教えていたし、常識として「神代(国の初り)」などは学校では皇統の教化資料を用いて教えていたようです。
従い当時の日本人はその意義を理解して再出発の意義を汲み取ることが出来たでしょうし、「神話に宿る魂に」との一節は古事記、日本書紀を思い浮かべたことでしょう。


この本、昭和14年に発行された両親の故郷、喜界島「郷土誌」にも記載されているのです。
ただし、この本は昭和55年に復刻したもの。復刻版の発行は6名の有志が行いました。
この本を読むにつけ、喜界島小野津の先輩たちの郷土愛を見る思いがします。

日本人(大和民族)にとって国の起こりを教えることで確固たる国家観が形成されたのでしょう。
しかし、今はマッカーサー指令によりその教育は排除され、現在の日本人は精神的流浪の民とさまよいながら、占領軍のプロパガンダの呪縛を解くこともできないまま78年が経ちました。

敗戦時、この詩を書いた後藤静香氏、今の「日本の姿」を見てどう思うのでしょうか?
私が一番気にかかる事、多様性と言いつつ今まで培われた日本社会の精神、伝統、文化を顧みることなく突き進んでいる現状が恐ろしい。

行く末は「混乱・混迷」ではないでしょうか。

 

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