表題の言葉、合気道開祖植芝盛平の講話テープから聞いた言葉でした。その頃、合気道を指導していた時期であり、テープを何度も聞いて、指導の一助にしたいと考えていました。
それから40年以上経った今でも、関心が薄れることなくこのようにブログを書くのは、自身の好奇心によることもさることながら、合気道という新武道を起こした経緯、大本教の出口王仁三郎の出会いにより師事して、大本教で学んだ「言霊学」をベースにして合気道の理念が起こされている事と知り、さらに知りたいと思い、いまでも関心が薄れることなく現在に至っています。
今ではその理念が海外へと合気道を通して広まっている現状を知るにつけますます関心が行くのです。
そんな折、「武産合気」を書棚から取り出し、読み返すと「高天原の妙生の章」の94ページに「アオウエイの発生」としての記述が目に留まったのです。
昭和61年に発刊されたこの本、何度となく手に取り目にしていたのですが、今までの勉強から理解が深まって居たためではないかと思うのです。
更に、「合気神髄」にもその記述がないかと、開いてみると、P75にその記述がありました。
講話テープで「言霊と言えどもアオウエイであります」とお話になっていたことから重要性が分かります。
開祖と18歳で出会い、本部道場でお話を聞く機会がありましたが理解不能、でも神々のお話から日本の歴史書「古事記」のお話をされている事だけは分かりました。
その後、神道関連、大和言葉などの書籍を読んでいるうちに、言葉に霊性があると感じる日本民族独特の文化だと分かり、開祖が話した「布斗麻爾」を知り、開祖が口にする「アオウエイ」の意義、講話テープでは「言霊学になってはいけません」と話していましたが「行ずる」ものだと云いたかったのでしょう。
此の2冊の本にその方法が書かれていました。
<合気道生出のために必要な言葉の概説>
「アオウエイにつき・・・
口をいっぱいに開いて、のどの奥より、呼気を吐き出すこと。この時必ず『ア』と鳴りだす。
ア、空中の水霊にして、無にして有なり。五十連の総名(50音?筆者)天に三元の形を持って廻る。自然なり。ア声はいかに鳴らしても常立(とこたち)にして変化はありません。ゆえにア声を国之常立(くにのとこたち)の神、国底主(くにそこぬし)の神と申します。・・・
※ 神々の名を使い説明している箇所がいまだによくわからない。多分、大本教の経典にその関連性が書かれているのかも!
また、「岩間時代に開祖は、在野の古事記研究家の第一人者である言霊学者中西光雲と親しくいききし、氏とのはなしを何よりの楽しみにしていた。開祖のいわゆる「武産合気」なる発想は、古事記によるところきわめて大なるものがあったように思う。」植芝盛平伝より。
この辺りの書籍などを入手して調べると多少わかるのかもしれない?
・・・また伊耶那美神(いざなぎのかみ)はこのア声を受け持ちたまい、宇内(うだい)修理固成に出ます。ア声を出しながら漸次口をつぼめて唇のまさに、相合わんとする時に自然に鳴り出すのはオ声です。
オ、空中の水霊にして、起なり、貴なり、高くめぐりて大地で空に結ぶ(三元の姿)。気息、口内に淀んで口まさに組もうとする時に出る声でありますから、豊雲野神(とよくものかみ)と申します。またの名、国狭土神(くにのさずちのかみ)。オ声を出しながら口を全く塞ぎきる時、自然に鳴り出るのはウ声です。
ウ、空中の水霊、浮き上がるなり、動なり、生なり、暗なり、三元の呼吸によって空に上下を結ぶ。
ゆえにウ声を宇比地爾神(うひぢにのかみ)と申します。またウ声を強く呼んでその 極に達したら、自然と『ス』となります。ゆえに、ス声を ウ声の妹神(いもがみ)、須比智爾神(すひちににかみ)と申します。宇比智爾の神の宇の下に■上点を施し、須比智爾の神の字の下に■去点を施したのはアクセントを表します。・・・
※■の印それぞれ、右斜め、左斜めに線がひかれている。この説明から経典、もしくは祝詞があるのでしょう。
・・・ウ声を呼びながら舌を持って下顎を突いて、杙(くい)のごとく、喰い入らしたなら(塞ぎきった目を一転して裏に開く形)、自然に『エ』と鳴ります。
エ、空中の水霊、天地の胞衣(えな)なり、肢なり、枝なり。およそ天位にして親音なり。エ声をを強く呼んで極に至った時、舌は自ら転じて、上顎に杙のごとく喰い入り、レ声となります。ゆえにエ声を角杙神(つぬくいのかみ)と称して妹活杙神(いもいくくいのかみ)と申します。
イ、次にエ声を呼びつつ全く口中の気息を転回し、圧しつくす時には、「イ」と鳴ります。イ声を強く呼んでその極に到ったら、自然に「ギ」と鳴ります。これ、声の大なる止りの父、大なる止り母、であります。ゆえに、イ声を称えて意富斗能地神(おほとのぢのかみ)と、申し、ギ声を称えて大斗乃弁神と(おおとのへのかみ)申します。」
開祖の言霊学に基づく説明と思いますが、神々の名がたくさん出てきます。
※武産合気の編者:高橋英雄氏は「以上のことは、皇祖皇霊のご遺訓で、神書に記してあることで、植芝が改まっていうまでもない、という意味のことを私におっしゃいましたが、この理の実行が合気道であり、言霊の妙用の理の根源と考えますので、あえて掲載した次第であります。」と補足がありました。
この辺りが難解なのですが、基になっているのは、日本最古の歴史書「古事記」にあるのではと、いろいろな本を読んでいるとそう感じます。
大本教の信者であった開祖植芝盛平、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)に師事して学んだこと、そして自ら研鑽した帰結として「合気神髄」が残ったのでしょう。
祭壇の前で開祖に四半世紀お仕えした直弟子の斎藤師範を囲んで撮った記念写真です。
毎朝、祝詞を上げていたとか!開祖にとっては大切な「行」であり、宇宙との一体感を得るための欠かせない行事だったと思います。
今では合気神社となっており、世界中からこの場所に合気道人が参集しています。
私、合気道と出会い導かれて、日本本来の精神文化の基点となる「古事記」の一端を知ることで一日本人として誇りが持てる国に生まれたことを嬉しく感じるこの頃です。
ア(ひと)足裏、オ(ふた)ふくらはぎ、
ウ(み)ふともも、エ(よ)腰
イ(いつ)腹、カ(むゆ)胸、コ(なな)背、
ク(や)腕、ケ(ここの)手首、
キ(たり)十指
と植芝盛平開祖がおっしゃって
おられたとか。
難解ですね。
家康さん、コメント有難う御座います。
どんな状況でこのお言葉を発せられたのか分かりませんが、
1~10まで昔の数え方で身体の部位を並べ、下半身から上半身へと移っています。
想像するに地面に付く足裏から進み、(たり)と発音している(とぉー)は指で終わっています。
身体的エネルギー?力の伝わる順序と思えてきました。
現在は私は居合を稽古していますが、抜き付け、真向斬りの稽古を行う時に「たり」まで流れを感じます。
なにか合気道の身体的な使いを説明した時に使われた様な気がします。
あくまでも、私の想像ですが。
合気道を通じて開祖を知ったことで「皇祖皇宗の御遺訓」と申される意義を多少なりとも理解できる様になりました。
「父は合気道の心は皇祖皇宗の御遺訓である。・・略・・合気道は御皇室とともに在り、御皇室中心でなければならない。と」
古事記、言霊学によって開祖は合気道の理念を説く以上そうなりますね。
戦後は学校で皇室文化に対して教化していませんが、
合気道に出会い、開祖を通じてその意義を知り日本人として誇りを感じます。