祈念、五穀豊穣、子孫繁栄。

今年は卯年、うさぎから「うさぎ跳び」を思い起こし、跳躍が連想されます。
思いとしては「飛躍の年」としたいものです。

神道の行事では、新春に祈年祭という祭礼があります。
「春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。稲の育成周期が日本人の一年といえます。
農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式』によると、神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛が奉られていました。特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りを行われており、朝廷の崇敬のほどが窺われます。」ネット記事より。

古来より日本は農耕で国を建てていた民族、五穀(粟 (あわ) 黍 (きび) )豊穣(穀物がみのりゆたかなこと)を祈願して安寧な暮らしができるようにと祈り一年の無事を願い、そして子孫繁栄と願うことで国が安泰に繋がるものと、ご先祖様は経験値から、国の繫栄の基と思い「祈年祭」(旧暦二月四日に宮中で五穀の豊作を祈る神事。)と言う祭礼を行ってきたのでしょう。
宮中とありますが、皇室が国民の代表としてその勤めを果たし、皇紀2682年の長きに亘り行っている日本の神事です。

ここにこそ、日本国における皇室の存在意義があるのではないでしょうか。
私は合気道を通して、開祖植芝盛平翁から神道の「祭政一致の本義」の言葉を知りました。
神道と日本人 金属焼付塗装専門|有限会社フジックスこの本では、次のように書かれていました。

「・・・古くからの日本の政事(まつりごと)の原点がある。日本は建国以来、政治の場においても常に神々への「祭事」を重要してきた。その意味で最初の「政治」とは、日本の国家を開いた初代天皇である神武天皇による「政事(まつりごと)であったはずだ。
神武天皇とその皇后、媛蹈韛五十鈴媛(ひめたらいすずひめ)を祭神に祀る橿原神宮。毎年二月二十一日の建国(紀元節)には、荘厳な「紀元節」が執りおこなわれる。・・・・・・・略・・・・・・・・・・この橿原において、先祖への感謝への気持ちと御礼からはじまっているのです
振り返って、いまの日本の政治はどうでしょうか。先祖の日本人たちに感謝や御礼も捧げず、”日本は日本人だけのものではない”とか、外国人参政権をおこなうようにする、というような自らをかえりみないない政治は、本来の日本のまつりごととは違うと確信しています・・・」

正に太字部が先祖への報恩感謝の精神が日本人の民族としての特性だと思います。
戦後、占領政策で戦前までの「世の仕組み」を「軍国主義」に繋がると否定され、教育改悪で戦後育ちの日本人は日本の大事な精神を忘却した訳です。
たとえば、紀元節を建国記念の日と改悪され何ら意義の持たない記念日に変わり、日本人の原点を思い起こす働きを持った記念日にはなっていません。

亡くなった母(大正12年生まれ)は、私に口癖の様に方言で「うやふじ、とぅーとぅ、とぅーとぅ。」と言いました。「ご先祖様を尊べ、尊べ」ということです。
奄美諸島の喜界島生まれ、そんな南国の孤島迄にも建国以来の精神が行き渡ってたいのです。

どんなお祭りでも「五穀豊穣、子孫繁栄」の祈願がテーマになります。
それはご先祖様が古来より、村、国の安泰の基と思うからこそ願うのです。

もう一度、戦前の神道行事を見なおし、そこにあった意義をおさらいすべき時でないでしょうか?

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS