社長ブログを書くに当たり、「GHQ 検閲官」なる本を借り受けていたので、調べてみようと思いました。
以前、GHQが言論統制のために、数千人の日本人を雇って手紙を検閲していたと記憶にあったからです。
他に、次の本を読んていた事もあり、戦後の日本人の見る目が占領軍の狙い通りの「頭」に変質していった過程を知るにつけ、奇麗ごとを言いつつ次の記述にあるようなこと占領軍がしていたのです。
表題の「GHQ 手紙の検閲」で検索すると、「探検コム」というホームページがヒットし、読むと次のような記述がありました。
・・・《生れて初めての自由! 自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、——かえりみて羞恥の感なきを得ない》
そう、GHQのおかげで手にしたありがたい自由。人々はそう思ってました。
しかし、やっぱり本当の自由なんてありえませんでした。GHQもまた、庶民の手紙を当たり前のように検閲するのです。これがその証拠。
GHQの検閲
問題なのは、占領軍が「言論の自由、信書の自由」を強調したものだから、基本的には検閲が隠された点です。それで一般人はアメリカがくれた自由に酔ってしまったわけです。
そしてそのアメリカが作った憲法には、当然の如くこんな自由が謳われました。
《第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない》なんだかとっても茶番な感じなのでした。
この本の帯にも「苦笑を禁じ得ない」と書いてGHQの矛盾をついている。
いかに占領政策がご都合主義ないい加減さを訴えています。
書籍「日本が二度と立ち上げれないようにアメリカが占領期に行ったこと」にも検閲の事が書かれています。
・・・●占領軍によって歪められた日本の伝統文化に項には、
そうした占領軍の目が存在していたことを良く一番表現しているのが「検閲」という言葉です。印刷物の発行をいちいち占領軍が吟味していたのです。この検閲には事前検閲と事後検閲とがありました。・・・
新聞社、出版社は発行停止を命じられれば死活問題なので、検閲を通り抜けるためにクレームが付かないような内容・表現に手を加えるようになったそうです。
正に言論弾圧、統制ですね。
このような事を繰り返していると習い性となり知らず知らずに占領軍の思い通りの思想になってしまい、国民も事実に反する事とは知らず洗脳されて行ったのでしょう。
正に占領軍の押し付けた憲法に反している訳で、確かに「茶番」です。
甲斐弦さん自らを「アメリカの犬」と称していました。
生活のためにこの職業を選んだのでしょうが、東大の英文科を卒業されていただけに、当時の風潮「ミンシュ、ミンシュ」と流れていた時代の中で鋭く矛盾をついた記述がありました。
・・・占領期間中にGHQ(連合軍総司令部)が行った郵便物や出版物に対する検閲への一般の関心は、今でもそう高いとは言えない。多くの日本人は敗戦によって我々は軍のくびきから解放され、大幅な自由を与えられたものと無邪気に信じ込んでいる。・・・抜粋
恐ろしく思うことは今もこの状態が続いているのです
戦後の間もない頃、占領軍のプロパガンダによって東條英樹首相は悪者扱いされています。
この本、亡くなったオヤジが持っていたが、オヤジも感ずることがあって買ったのだろう。
当時の時代背景を考慮に入れて読んでみると、お国の為にと言う思いが分かって来る。
東京裁判が単なる復讐のための茶番、インドの判事パール博士が言ったように何ら根拠もない中で、A級戦犯と裁かれて以降、悪者にされてしまった。
また、当時の国民、何も知らないままに言論統制・規制の中で洗脳された結果でしょう。
石原慎太郎氏が「A級戦犯」などというものは存在しなと言い切った事もそれが根拠となっているのでしょう。
私の記憶では戦後間もない頃、映画「きけ わだつみの声」という映画が製作されました。
著者はこの反戦映画の「わだつみ」の母胎となった『はるかなる山河に』(略称『はるかなる』)と読み比べてみるがよい・・・中略・・・『はるかなる』には気迫烈々とした学徒の遺稿も数多く収録されているけれども『わだつみ』にはそのような手記は全くない。と書いています。
私が推測した通りだった、終戦直後占領軍によって言論統制された中ではそのまま出版し難かったのであろう。
著者はこの本でそれを書いている
『わだつみ』になると、少しでも好戦的と思われそうな文章はすべて姿を消す。「あとがき」によると、309篇の手記の中から75篇(約24%を選んだというが、収録されなかった234篇の遺稿にはどんなことが書いてあったか、読んでみたいという気持ちを抑えることが出来ない。・・・
私も読んでみたい、今は便利な時代すぐに探せるだろう。
占領軍は日本国を貶めるために、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は着々と推し進められていたのでしょう。
2022年(令和4年)現在の国民意識を意識をズバリ言い当てている記述を結びとします。
・・・戦後米軍のCCD(民間検閲局)の一員として、短期間ではあるが郵便の検閲に当り、占領業務の一端うを垣間見た私など、報道という報道がすべて権力者の手に握られた時、いかに徹底した洗脳が行われるものか、江藤淳氏のいわゆる『1946年憲法ーーーその拘束』が、いまだに支配する日本の現状を見て、肌寒い思いに駆られずにはおれない・・・。
今、第四の権力と呼ばれる「マスメディア」が偏向報道を行い情報操作する、其の具の乱用が目に余る。
最近「炎上」という言葉が“はやり”になってきていますよね。
この風潮を見ていると、現代人は(私も含めて)とにかく揚げ足取りが大好きなように感じます。
GHQは検閲で言論統制をしましたが、今では我々も間接的に言論統制に一助しているように思えます。
(例、炎上を恐れて表現に敏感なマスメディアなど)
そのような環境に身を置いている現代人は、発言を恐れ、いずれ物事を考えることをやめる、だからこそ人の意見に対しては過敏に反応する。。。負の連鎖が発生しています。
記事を拝見して、若干的外れなコメントかもしれませんが、若輩ながら上記のような感想を持ちました。
きんたろうさん、コメント有難うございます。
GHQは日本を貶めるためにと、日本人が大切にしていた価値観を否定する方向に言論を統制しました。
ですから、ある意味で洗脳です。
「炎上」は他者から見て、ある常識的(?)価値観で「否定」され、非難が起こりますね。
きんたろうさんが言うように、発言が適切が否かと思案すると確かに気を使い「口は災の元」とメディアも気を回すことになっていますね。
でも「炎上」する発言はそれなりに問題を含んでいます。
「報道という報道がすべて権力者の手に握られた時、いかに徹底した洗脳が行われるものか」
とあるが、それを意図的にやっているのがテレビ局がなのでは?
文章を置き換えると「報道という報道がすべてテレビ局の手に握られた時、いかに徹底した洗脳が行われるものか」と日本人は気付くべきなのでは。