公と個(公共とエゴ)

テレビニュースで長野県青木島公園が、住民の苦情で廃止になったことを報じていました。気になりネット記事を検索し見ていたら興味深い記事を見つけました。

「明治天皇の玄孫(やしゃご)で作家の竹田恒泰氏が7日、自身のツイッターを更新。長野市の青木島遊園地が周辺住民の苦情のために廃止となることについて言及した。  同遊園地ついての長野市議の「環境バツグンの児童公園をつぶすのに必要なのは、たった一軒からのクレームだった!?
それでいいのか、荻原健司市長!!市民の声を聴いてください」と題するツイートを載せた上で、「1人の高齢者のクレームで公園を潰すとか、長野市大丈夫か? 長野市だけの問題ではない。全国に悪影響が及ぶ」と私見をつづった。
このフォロワーらからは「一部の騒いだ住民の声が反映され、大人しい住民の意思は反映されない。大変にまずいことです」「住宅地に隣接する立地はまぁ五月蠅いとおもいますねぇ」「長野市は1人で市役所に文句を言えばその1人の思い通りになるってことだな」などさまざまな声が寄せられている。  市公園緑地課は、地元区長会からの廃止要望や、同遊園地は借地で借地料が発生していることなどが廃止の要因としている。」・・・ネット記事より。

ネット記事より。

このニュースを読んだ時、学校の運動会を思い出しました。
いつだったかは忘れましたが、近隣の住民が運動会で流れる音楽、また応援をする声などがうるさいとクレームを付けられ、騒音と感じるような音を自粛して、開催しているなどと仄聞していました。
報道では地域住民のエゴとかと報道されるケースもありますね。

この事例もそれに似たケースでしょうが、公園の近所でこの方一人の苦情とか。
SNS上ではこの報道で様々意見が寄せられているとか?
一住民の人が特定されて信州大学の名誉教授と記事になっていた。
教育に携わる人として、子供の教育に関わる事なのに、自分勝手すぎるとかいろいろな意見が出ているようです。

竹田恒泰氏が言うように、
> 同遊園地ついての長野市議の「環境バツグンの児童公園をつぶすのに必要なのは、たった一軒からのクレームだった!?

ここで問題となるのが「個」の意見が通り、「公園」という「公」の役割に関して何も触れていないからでしょう。
将来の日本を担う子供たち、今までの日本人は「国の宝」と呼び「公」では、その頃は(昭和30年代ごろ)コンセンサスがあり?、その認識で判断されて、公的機関まで苦情が無かったような気がします。

地域で、住民たちのそのような苦情、揉め事などを「長」が治めていたのでは?まだ村意識の名残もあったからではないでしょうか。

戦後直後、占領軍が敷いた「民主主義」、誰もが「ミンシュ、ミンシュ」と唱え、戦前の体制に批判的になり、「我」通す風潮で「公共、国」の面で考慮する姿勢が段々と薄まり現在に繋がっているような気がします。

個と公、個人と地域社会、国との関わりを見つめ直す必要があるのでは?

 

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