タイトルで示すように武道、武術を身につけた政治家がいるのかと関心が向いたからです。
それは昨今の国際情勢が示すように日本を取り巻く環境の緊張度が増している時期、戦略的、兵法的な考え資質が政治家に求められるのではと思ったからです。
それは「肚」、非常、有事時の意思決定における最重要の「メンタリティー」なのです。
三芳町の彰忠碑(日清、日露、第一世界大戦の戦役、戦死者の鎮魂碑)
有事の際、軍を指揮するのは、
「他の国務大臣と同様、日本国憲法第66条の規定により、文民統制の観点から文民が任命される。防衛省の長であるとともに、陸海空の三自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の下で、統合幕僚長を通じて自衛隊全体を統督する。防衛大臣の自衛隊の部隊運用に関する指揮は、統合幕僚長が補佐し、統合幕僚長を通じて行われる。命令の執行も統合幕僚長が行う[4]。」ウキペディアより。
最高司令官は内閣総理大臣なのです。
今の政治家に有事の際、統合幕僚長の進言に対し決定する器量(腹を括れる術を鍛錬した人)を持ち合わせている人がいるのでしょうか?
学生時代、合気道部に所属し稽古していました。
その時代でしたが、合気道の式典だったか記憶は定かでないのですが、来賓として来られた政治家が園田直(すなお)氏でした。武道に関心を持っている方と記憶しました。
私の記憶では顧問をしていたと認識していたのですが、詳しく調べると次のような関りがったようです。
「合気道8段。財団法人合気会理事。全日本合気道連盟会長。合気道創始者である植芝盛平の死去に際して葬儀委員長を務めた。
挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長を経て衆議院議員に当選。内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・自由民主党衆議院議員を務めた。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。」ウキペディアより。
合気道八段の腕前、当世の政治家とは一味違いますね。
さらに笹森順造が挙げられます。
何故記憶したかというと、戦後武道禁止を解くためにGHQから他流試合を求められ、当代随一と謳われた国井善弥を指名した戦わせた政治家と記憶していたからです。
国井善弥は木刀、方やアメリカは銃剣術の達人、装着した真の銃剣での対決、勝負は一瞬で決まり善弥の勝。
「笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5月18日 – 1976年〈昭和51年〉2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は政治学士、剣道範士。東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。
青森県中津軽郡弘前町弘前若党町(現:弘前市若党町)に旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し、小野派一刀流剣術を学ぶ。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。」ウキペディアより。
本人も小野派一刀流の免許皆伝の腕前です。
後、記憶では政治家渡辺美智雄が武道の腕前が定かではないが、健康のためにと木刀を振っている写真を見たことがあります。
私が若い頃の政治家は少なからず武道、武術にかかわる政治家がいたように思います。
それが戦後占領政策の影響で武道は兵法的な考えは取り除かれ、スポーツ化が進み「死生観」を学ぶものとはかけ離れてしまいました。
牛熊辰熊は木村政彦の柔道の師匠として有名ですが、木村には負けは「死」と覚悟させ勝負の心得と諭していました。
これなどは、戦前までは剣道においても同じで決まりは「一本勝負」でした。
それが戦後一変して平和主義、そこにある生死を掛ける時の「肚」造りの意義を、軍国主義と絡め短絡にそれを排したのです。
まして、戦後の風潮で武道が疎まれる時期になったため決まりは3本勝負と改められました。
私が感じることですが、あの時代の政治家の面構えと写真で比較して見えることの違い眼です。
そんな時代背景の中、政治家を志す人には関りがないものと変わったのではないのでしょう。
このような話を取り上げる背景には明治維新が行った人達はほとんど剣術(剣戟)を稽古し心身鍛錬をして「肚」を造っていたのです。
彼らは死線を超えた経験を持ち、主体性を護持する大切さを身近に感じていたでしょう。
大事を成すは「覚悟」、当世の政治家はどのように精神形成をしたかと言うと「否」でしょう。
今でも「愛国心」「忠誠心」と言った言葉が否定される時代、ましてや「武士道」「大和魂」なる言葉忌避された時代に育った政治家には関心を持つ機会がなかったのではないでしょうか。
これは占領軍か残した戦後教育の負の遺産と思うのです。
平和主義の行き過ぎで、「攻められたら殺されればいと発言する人まで出る始末」と本当に狂っていると思います。当の本人に覚悟があるのか?
思想に流され本質が見えてない証拠です。
ウクライナ・ロシア戦争の教訓があるにも関わらず、いまだ憲法第9条を後生大事に守ろうとする人たちがいるのです。
本当に新生日本を思うならば、改正でなく新憲法成立でしょう。
国民に対する国の最大の福祉は「国民の生命・財産」を守る、この基本があってこそ国家が成り立つ原点、戦争をしないためにも「強国日本」でないとだめなのです。
戦前の軍国主義と排斥し、軍事を蔑ろにし平和平和と唱えれば平和が守れると信じる日本人の馬鹿さ加減、最近知ったことですが日本人の頭から消えた言葉「尚武の気風」がその証拠。
国が守れないとどうなるかはニュースで分かるようにパレスチナの国民の状況を思い浮かべらばわかるのに。
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