フェイスブックでこの記事を目にした時、
コメントに「GHQの洗脳の効果がスゴイ。何の学習をしないまま無駄に教員生活を過ごしたのでしょう。情けない!」と。
小学校の恩師に「日教組」について質問した時、返答は「自らの格を貶め、金欲しさの労働者に成下がった連中」ともいい、修身教育が廃止された理由を聞いたところ「マッカーサーが大和魂を貶めるため」と教えてくださいました。恩師は東京師範学校出、学制が変わった敗戦直後の卒業だったそうです。教師の矜持をお持ちの恩師でした。恩師が仰った通りとなっている現象を見る思いです。
フェイスブックからの引用写真です。
他国でこんなデモをしたら石を投げつけられるか、
袋叩きに合うのでしょう 。
移民国家のアメリカでは銃弾が飛んでくるかも。
移民国家であればこそ統一のシンボル、国旗、国歌。
冒頭、記述した内容がこの写真が如実で語っています。
デモに参加している教職員等401名とあります。
この方々、戦後生まれでしょう。
日本に生まれ育ち、その環境に感謝の念があればこそ大切に思うのが自然な心情なのに、なんでこんな歪んだ心に育ったのでしょう。
これこそ、元凶は戦後の教育にあるのです。
国の根幹をなす人材育成、「教育」制度をこの人達は日本人の純なる「こころ」を歪めていいと思っているのでしょうか?
教育に「憂い」を感じ、このような本が出版されるのも、その証拠でしょう。
私がこれらの本を見つけ読む思いに駆られるのは、東京裁判史観で植え付けられた価値観に疑問を感じるからです。
勝者が正義、敗者は「悪」とした裁判でした。
何度かブログでも触れていますが、「喧嘩両成敗」と子供心に染み付いた価値観があったればこそおかしいと思ったのです。
現在も、ウクライナ/ロシア、イラン/アメリカの戦争がはじまり、それぞれの国、ロシアはウクライナはもともとロシアの領土だからと侵略し、アメリカは核拡散防止を目的に戦争を始めている。
これとて、戦前は覇権主義の時代、国益優先で争い、アメリカは日本が国際社会で台頭してきたことを良く思わず、外交面での軋轢が最終的にはアメリカ側の「ハルノートの最後通告」を受け入れられず、国の存続を憂い開戦に踏み切ったわけです。
後になって、いろいろと解釈が生まれ、私などは子供の頃、日本が負けたのはレーダーがなかったからと教えられ、はたまた当時は東條英機を悪者扱いしていました。
この本を読むと政治家として日本を思う心からの判断と思いました。
結果論から言えばあーだこーだと言えます。
日本が勝っていたら、アメリカが逆の立場になったかと言えば、武士道精神を発揮し敗者を尊重したでしょう。
アメリカにはそんな思いはなく、本の題名通り、大和魂を壊し二度と日本が強くならないようにとしたのが占領政策でした。
それを打ち破るのが安倍政権の「戦後レジームの脱却」でした。
奴隷憲法でなく自主憲法の制定こそが真の独立国家への道なのでしょう。
昭和45年11月25日、市ヶ谷駐屯地で訴えたのが三島由紀夫でした。
三島由紀夫、草葉の陰で今の日本をどう見ているでしょうか?








*コメントが残っていないので、再度のコメントとなりました。もし先のモノが残っていたとしたらすみません。少し文言も違っているかと思います。
はじめまして。
「三宅綱子さん」を検索していてこちらのブログを知り拝見しました。
私はハワイ日系の歴史を伝え残す非営利活動をしており、三宅さんは戦後、ハワイ島で柔道の指導者をされていたので、検索した次第です。
このブログにコメントを残したのは、「ハルノート」について。
日本ではハルノートは最後通牒と言われ続けていますが、社長は原文を読まれておられますか? 原文には、あるワードが書かれており、あれが最後ではないことがわかります。
外交交渉には、意図を匂わす文言を用いることもありますが、基本的には駆け引きですから、何度も会話を重ねて折り合いが着く点を探します。しかし「これが最後」などという言葉は常識として用いることはありません。折り合いが着いた後に使われる言葉です。
コーデル・ハルが野村駐米大使に手交した際にも「これで即時撤兵を求めるものではない」という旨の発言をされているようですので、やはりあくまでも交渉段階のものでしかありませんでした。
しかし日本側に交渉の余力がなく、日本側が勝手に最後通牒と決めつけ戦争に入って行きました。
日本の外交交渉力のなさは、現在も同じです。
しかし私は、現代の日本に「修身」教育は必要だと考えています。
私は50名近いハワイ生まれの日系二世たちを取材しドキュメンタリー映画にしています。私が取材した二世たちは、第二次大戦時に米陸軍兵として欧州戦線で戦っており、いまだに米軍内で最も勲章を授かった部隊として名を馳せています。中には、戦後に東条英機の通訳をした二世もいます。
その二世たちは、公立学校とは別に日本語学校に通いました。そこで修身教育を受けています。多くの二世が「私は修身を習って育ちました」と言いました。
目上の人を敬い、地域には奉仕する。義理や人情、恩なども大切にしていました。
彼ら二世は、現代の日本人より日本のバリューを持っていました。
もしご興味がありましたら、『Go for Broke ハワイ日系二世の記憶』で検索してみてください。マウイ映画祭でプレミア上映された際には、マウイ中の二世退役軍人が集まり映画に敬意を表してくれました。
Facebookを貼っておきますね。
https://www.facebook.com/GoforBrokeHawaii/
初めてのコメントが長々となり失礼しました。
松元様
コメント有難うございます。
大変興味深く拝読いたしました。
まず驚いたのは「三宅綱子」の検索語で私のブログに辿り着いたこと。
2006年から社長ブログの投稿をはじめ現在は795項目ほどになりました。
大学時代、合気道をやっていたので柔道家、木村政彦、道上 伯(アントン・ヘーシンクを指導された方)、福田敬子女史等を取り上げた関係でしょうか?
文面から察するにハワイにお住まいなのでしょうか?
ハワイ日系の歴史を伝え残す活動をなさっているとか素晴らしいですね。
ハワイへの移民は幼少時代から知っていましたが、大学生の頃?テレビで日系ハワイで構成された442部隊を知り、勇気ある戦い、勇敢な日本人と聞き誇らしく感じた思い出があります。
私は戦後生まれで、終戦から1、2年程経って疎開先から移り住んだ所が千代田区飯田町、今思い返せば幼少期は占領時代でした。
その頃、家は文房具屋を営んでおり、目白通りに面した場所にありました。
時々宮城(皇居)に戻られる際、昭和天皇陛下が車で目白通りをお通りになるのですが、1人歩道で立って待っていた時、通りすがりに5,6歳の私を見つけ手を挙げて挨拶してくれたのです。
戦争の知識と言えば小学1,2年生の頃観た沖縄戦『ひめゆりの塔』神風特攻隊『雲ながるる果てに』が強く印象に残っています。
まだ朝鮮戦争の最中だったのでしょう、歩道に歩く二人のアメリカ兵を見かけたことがありますがもう一人は黒人兵その黒さに驚いた経験があります。
小学4年になると家の事情で板橋長後町から都電通学するようになり通学路に靖国神社があり日清、日露戦争で勝利した歴史を大燈篭のレリーフに描かれているのを見るにつけ敗戦に悔しさを感じたものです。
幼少の頃の思い出ですが、後々私の考えに大きく影響を与えました。
『ハルノート』についてのお話ですが、『最後通告』の全文は読んでいません。
がしかし、巷間言われている話からやむに已まれず開戦したと理解しています。
確かに、ご指摘の通り外交面での拙さより打開策を講じられなかった側面あるやもしれません。
『修身教育』についてですが、現代の日本に『修身』教育は必要だと考えていますとのご見解ですが、そのご意見に賛成です。
クラス会で小学校の恩師に修身教育が無くなった理由を聞いた時、「マッカーサーが大和魂を貶めるため」と仰いました。
今私の周りには戦前まで大切にした日本民族の特性というべき精神『大和魂・大和心』が戦後教育で今の日本人にその心性が失せています。
松元様のお言葉、
『その二世たちは、公立学校とは別に日本語学校に通いました。そこで修身教育を受けています。多くの二世が「私は修身を習って育ちました」と言いました。
目上の人を敬い、地域には奉仕する。義理や人情、恩なども大切にしていました。
彼ら二世は、現代の日本人より日本のバリューを持っていました。』との記述に思いあたる節があるのです。
北米、南米等に移民した日本人、アメリカ占領政策の影響を受けず、明治以来の教育基本方針『教育勅語』に沿った修身教育をしていたと感じていました。
過去、昭和天皇陛下、上皇陛下、今上天皇陛下、またそれぞれの宮家の皇族訪問に際し崇敬の念が強く放映ニュースの場面から見て取れました。
まさに貴兄が言う『日本のバリュー』が本土の日本人よりあると言いう証左ですね。
日系ハワイの方々の歴史、生き様を伝える活動は意義あるものと思います。
今でも忘れません。
1967年、日系3世の拳闘家藤猛が世界スーパーライト級戦に勝利した時、『大和魂』と叫び岡山のおばあちゃんに本来の意味『勝って、兜の緒を締めよ』を『カッテモ、カッテモ、オヲシメヨ』と叫んだ例がその典型でしょう。
昭和42年頃と言いますと左翼思想が強く影響していた時代、「大和魂」「武士道」
「愛国心」などは戦争につながると批判されていました。
日系3世の藤猛がリングで「大和魂」と叫んだことは衝撃でした。