辺野古基地反対運動で見えた左翼の異常!

令和8年3月16日、辺野古基地反対運動に利用され同志社交際高校の生徒が溺死する事故が発生、抗議団体の代表が謝罪会見。
始まる前の様子がこの写真のようだ、会見でも謝罪の思い、態度が見えなかったがその理由がこの写真で分かった。

引用元 ネット記事より

左翼活動家による暴力行為を私自身2度ほど経験しています。
学生時代の大学紛争で授業妨害をして混乱に落としいれた昭和43,44年の時期。
私等から見て大迷惑、授業が出来ず大勢の学生が迷惑を被った事。
彼らの行動に反発した一般学生は授業再開を目指し左翼暴力学生を追い出し授業再開を果たしました。私もその活動に参加し、ある時夜襲をかけられ全治3ヶ月の怪我、こんな経験をした私は、よく耳にしていた左翼の凶暴性を体験しました。
人の迷惑一切考えない連中です。
怖いのは揺るぎない偏狭(正しいことをやっていると思い込み、どれほど社会に迷惑をかけているなどと1ミリも感じていない)という事。

当時武器として彼らが使っていた道具、投石、硫酸、塩酸、火炎瓶、ケバ棒(ケバはドイツ語ゲバルト・暴力)、鉄パイプ、鉄パイプに五寸釘を装着した槍等など。
今回の転覆事件でも彼等、何ら思想的思いもない高校生を反対運動に利用して死亡させて形だけの謝罪、彼の実態が白日の下にさらされた会見でした。

もう一件は、昭和46年11月渋谷暴動事件、当時私は渋谷区神山町にあった会社に勤務していました。
社内に診療所がありましたので、渋谷駅近辺で左翼暴力学生に硫酸をかけられ頭にやけどを負った機動隊員が担ぎ込まれ急遽手当し、これ以上手当が出来ないからと案内した私に医師が言うので玄関前にいた隊長らしい人にそのことを告げるとどうやって連れて行ったらいいかと戸惑っていたので、そこに止まっている消防車を使えばいいじゃないかとアドバイスした経験がありました。
負傷した隊員は、熱いよ熱いよと泣き喚いたいたことを思い出します。
確か、応援に来ていた新潟県警の機動隊員だったと思います。
制圧に不慣れのためにそんな目に遭ったのかと思ったものです。

この時、機動隊員が一人火炎ビンで焼き殺れています。確か隊員の慰霊碑が建てられています、

 

目の当たりにして彼らの暴挙をよ経験し見て来た者にとって彼らの本質/正体を見る思いです。

戦後まもなく作られた映画「帰国 ダモイ」で語られたセリフを紹介しその証左と致します。
映画とはいえ見事に左翼の実態を暴いています。

「そこへ引揚げてきた彼氏が来て、再会しますが、
彼から出た言葉が別れの言葉。
ここからは映画のセリフ。
「別れ様、君と僕とは生きている世界違う、僕は革命家として人類に尽くす。」と立派な言葉、
「おれは人民政府の樹立を目ざして帰ってきた。共産主義社会の実現のためには暴力も辞さぬ。君は資本家にこびをうっている。違った世界の人間だ。さよなら」ネットで調べると上述の科白でしたが、記憶には前の言葉も発していたと思います。
シベリア抑留引揚者の物語 – 社長ブログ、(有)フジックス | 埼玉川越

戦争反対、戦争反対と叫びつつ自分対の目的のためには暴力を行使すると言いつつ80年、なぜ彼らを支持する人がいるのかいい加減覚醒してほしいものです。

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