横綱相撲の取り口は、一言で言えば受けて立つ「後の先」の立ち合いをする事。
近代になって言われ出したように思います。
なんと言っても69連勝の「双葉山」の取り口が横綱相撲の理想とされたのでしょう。
私、相撲に関心が起きたのは自然の流れだった様な気がします。
遊びで相撲を取る風潮がまだあった時代、そして昭和28年にテレビ中継が始まり、茶の間での観戦が可能になってからますます相撲に関心が向くようになりました。
当時人気力士と言えば、「千代の山」ソップ型の力士で筋肉質、突っ張りを得意としていました。
その後、栃若、柏鵬、北玉、輪湖時代と面白く観戦していたのですが、千代の富士が引退したあたりから関心が薄まりました。
だた、若貴ブームが起った時期、初代若乃花のファンであった私、若花田、貴花田のしこ名で初代若乃花の甥っ子の活躍には関心が高まりました。
理由は取り口が大味、相撲の醍醐味が無くなり、突き落とし、はたき込みなど決まり手が単調になり、当時の評論家玉の海さんに言わせれば稽古不足の表れと云う位です。
顕著な例として、「水入り」が無くなった事。
日本人の新弟子志願者の減少、外人力士の増加、そして昨今は国技と言いながら、モンゴル出身者が幅を利かせる時代と変貌しました。
まだその頃、初代貴乃花、輪島などが見せる取り口にはその醍醐味が充分に発揮されていました。
最強の関脇と言われた「長谷川」も独特の存在感がありました。
さて、白鵬の取り口ですが、優勝40回の実績、今までの横綱に比類ない回数です。
がしかし、「貴の岩暴行事件」、相撲協会のゴタゴタから、注目をされるようになったのが白鵬の取り口、冒頭、書いたように横綱相撲らしくない取り口に批判の目が向きだしたのです。
使う技が横綱らしくないと言うことに尽きます。
張り差し、かち上げという技。
「受けて立つ」との観点から言えば反対の、業を仕掛ける取り口。
私が知る限りでは今NHKの相撲解説をしている「北の富士」はかち上げの技を使っていたと思います。
じゃー何故、とやかく言われるかと言えば、「かち上げ」と言っていますが、実質は「肘打ち」です。
相手を上体を起こす技でなく、反則技の拳骨と同様に肘で相手を殴りつける使いになっているからです。
いま思えば右肘にサポーターを巻いているのが気になります。
何か仕掛けがあるのではと勘繰りたくなります。
こんな取り口を容認した宮城野親方にも責任があるのでは!?。
相撲の取り口でなく、振る舞いにも「らしからぬ」ことが。
立ち合い不成立と抗議したり、組織運営に口出しし「膿を出す」とか、優勝インタビューでは「万歳三唱」を観客に強要したりと「分」を弁えない、言動などが非難批判の対象になっているのでしょう。
元大関豊山、元時津風親方は白鵬が仕切り最中塩を取りに行く時、土俵の俵を踏んでいることに、「しきたり」を知らないと憤っていました。
相撲は神道行事、形式、様式美(髷と花道、衣装は褌)をそなえての挌技、それを伝統、慣習を無視した振る舞い見れば先輩として容認できないでしょう。
「前時津風親方、双葉山」から教えられた慣習、しきたりが無視されれば当然の事と思います。
今の親方、もう戦後生まれの人たちばかり、戦前に生まれ育った力士のように慣習、しきたりを重んじる態度、知識は持ち合わせていないのでは。
相撲は他のスポーツ、挌技と違い、日本の精神文化、いわゆる神道に深くかかわる行事として受け継がれています。
その点でいえば、各親方の指導もその責任の一端はあるのではないかと思う。
奉納相撲、村相撲という言葉があるくらい、祭事にかかわる要素がある相撲、スポーツとは違う点を理解していないといけないと思う。
「伝統」と言うことを失念すれば、相撲の意義はなくなり、だだ単なるスポーツになってしまうことは避けなければいけないと考えます。
いま一番気がかりなのは、時代と流れだと言いつつ、アマチュア相撲と同じように「スパッツ」を穿いての褌姿はご勘弁を!!
初代若乃花が言った様に「裸を魅せる」も力士の務め、鍛えた体も魅力の一つ。
外人を入門させるのなら、「日本文化の教育」も忘れずにやって欲しいものです。
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