「ナツコ 沖縄密貿易の女王」

この本の存在を知ったのは、民謡教室の仲間からでした。

以前、ブログで「戦果アギャー」について書いた事を彼に話した時に、その話、本で知っているというのです。

どんな本と聞き、借りたのが「ナツコ 沖縄密貿易の女王」著者 奥野修司。

出版が2005年4月10日、四半世紀が経っている。

沖縄の女性らしく、彫の深い顔をしている。

著者が、彼女の存在を知る切っ掛けを「はじめに」のページに綴っている。

いつ頃かはこう記している。

「私が「ナツコ」という名前を知ったのはずいぶん前のことだった。石垣島の白保に予定されていた新空港の建設を、沖縄県が断念してしばらく経った頃で、なにか島内が騒然としていた記憶がある。その日は朝から雨が降っていた。・・・」

石垣島の白保の新空港建設計画はいつ頃かと調べると1979年とあり、島内では新空港建設支持の意見が多く、2006年に起工式が行われている。それにしても計画から27年の歳月がかかっている。民主主義社会の宿命みたいなものか?、それに比べ、中国などは国の方針が優先されるので、新幹線の整備、拡大の早いこと。

中国、共産党一党支配、国土整備においてはやりやすい。

著者、1948年生まれ、「ナツコ」知った時期、30歳半ばか40歳前後と思われる。

年齢的には、団塊の世代、戦後日本について関心がありその一端に沖縄県があったのでしょう。

私なども、戦後の映画、「ひめゆりの塔」(昭和28年1月9日公開)などから、女子高校生が犠牲になり悲しい出来事のあった場所と幼い頃に知っていました。

津島恵子、香川京子が出演、近所飯田橋駅側の不動産屋のテレビで見た記憶があります。

その後、本土決戦があった場所、戦後47年間はアメリカの領土、基地問題で常にごたごたしている印象があった。

そんな中で、米兵強姦事件がよく記事になることがあった。

この本を読んでわかったことだが、※駐留する兵士の質の悪さもあった時期で、それが影響していたようだ。

話がそれましたが、ナツコの出会いに話を戻します。

「・・・観光客ならまず立ち寄らないような古ぼけた一杯飲み屋だった。手を引かれるように暖簾をくぐると、なんとそこにいた客はオジィとオバァの”団体”だった。やがて聞くともなく、「ナツコ」やヤミショウバイ」といった単語が耳に飛び込んでくる。私は好奇心にそそられ、そして尋ねた。するとあるオジィは、まるで若い頃の恋人を自慢するかのようにこう言ったものだ。『ヘヘッ、ナツコはよ、あれは闇商売の親分よ。何をやるにもいちばん。大の男がナツコに命令されたら、ハイどころか、ウッウッとしか言えなかったたさぁ。あれは女傑のなかの女傑よ』じつはそのとき、私は沖縄に大密貿易時代とでもいえるような一時代があったことなどはまったく知らなかった。だから彼らが『闇商売の親分』というのを、私はなにやらマフィアの親分をイメージしながら聴いていたように思う。『へえ 闇商売の時代があったなんて初耳ですね』・・・」

私の場合、両親が奄美喜界島出身、昭和28年まではアメリカ領土、物資不足もあり、叔父、義叔父が密貿易をしていたという話を母から聞いていました。

本土でも、戦後の一時期闇商売で財を成した三国人が存在したり、闇米を食べずに餓死した検事の話など知っています。

戦後の日本、物不足の時代でした。

※本に拠れば、「・・・当時、極東に配属された兵隊は、優秀な者から東京GHQ 横浜の第八軍、フィリッピン・琉球軍司令部、ライカム(琉球司令部)の順に送られたが、最後のライカムでもはねられた兵隊は軍政府に追いやられたという。このため沖縄は、政治でもデモクラシーも知らない、占領意識丸出しにした『無能な将校のはきだめ』の米軍政府に統治される島となっていく。日本本土を占領した米兵は、この沖縄を『太平洋のゴミ捨て場』とも『太平洋のシベリヤ』とも呼び、『沖縄に送る』と言われただけで震え上がったといわれる。那覇あたりでも、夜になると、米兵たちが民家を襲って若い娘を連れ去るという事件が相次ぎ・・・」

この様な事件、沖縄に限らず米兵の強姦事件はあったようですが、GHQは印象操作で、チョコレートを子供たちに上げるニュースでごまかしていたと記憶にあります。

本に拠れば、ナツコ 大正5年生れ、出生地は糸満でなく徳之島。

戦後混乱期に出るべくして出てきた女傑ともいえる。

逞しさにおいては、彼の時代の女性にはあったような気がします。

著者は戦後のあの時期を次の様に綴っている。

「・・・しかし誰の支配も受けず、誰の手も借りず、占領軍に対抗して自分たちの持てるエネルギーを存分に発揮して生き抜いた密貿易時代こそ、『ウチナー世(ゆ)』ではなかったか。そんななかで金字塔のように輝いていたのが夏子だった。背丈わずか百五十センチほどの彼女が巨漢の男たちを従えていたという話など、与那国島に伝わる伝説の女性『サイアイ・イソバ』を彷彿とさせるが、単なる伝説ではなく、彼らは、畏敬すら抱いていた。・・・」

沖縄、時代区分を「唐世」、「ヤマト世」、敗戦後の「アメリカ世」と分けられるが、著者はその時の時代こそ「ウチナー世」と言えるのではないないかと!

あの時期、誰もが「なにくそ」と歯を食いしばり困難を乗り越えたからこそ今の日本がある。

成長の基は心にある。

リーダーたる資質「手腕と度胸と情報収集力」、それに愛嬌が備わっているからなおさらだと思うよ!

密貿易の拠点は、今回両陛下が巡幸された良那国島、彼女が生きていたらどんな思いをしただろう。

戦後も、70年以上が経ち、こんな出来事も埋もれて行くのかもしれない。

奄美出身者の民謡仲間でも「戦果アギャー」という言葉を知る人はほとんどいない。

会長と本を貸してくれた者だけ!

最後に当時流行った言葉に「男は戦果、女は体当たり」があったそうです。
本土風に言えば、「男は泥棒稼業、女は売春」。

 

 

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