メディア(テレビ)はペンよりも強し。

「ペンは剣よりも強し」とは、言論の力は武力よりも大きい力を持っているということの意。
この言葉、元は違った状況で使われたようですが、現在は上述の意味で使われるようになっています。
「ペンは剣よりも強し」を言い換えて「メディア(テレビ)はペンよりも強し」と書いたのは、
「テレ朝」の社員がコロナ禍の中「ルール破り」をして事件を起こし説明責任を果たしていないからです。
批判も無視し、報道できる権利(放送権 電波)を行使しして自分たちに都合のいい言葉で言い訳を流布させます。
それはある意味でペンの暴力、批判的な言論を無視する態度をその言葉で揶揄したのです。
「厚顔無恥」というべき人達の集まりがテレビ局!?

「8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、キャスターの富川悠太アナ(44)が「自社の不祥事」について伝え、同局のコメントを読み上げたあと、コメントを求められた番組コメンテーターで共同通信社編集委員の太田昌克氏はこう語気を強めた。

「報道ステーション」(テレビ朝日系、8月10日放送)より

太田氏が「絶対にあってはならない不祥事」と指摘したのは、8月9日未明、テレビ朝日の五輪スタッフ10名が、緊急事態宣言下の東京都内のカラオケ店で”打ち上げ”をおこない、参加していた若手女性社員1名が同店の2階非常階段から転落し重傷をおった“事件”のことだ。」ネット記事より引用。

このテレ朝自身の醜聞とも見て取れる問題を一事件が如く報道して、自社のコンプラインス破りを他人事のように扱ったことでSNS、YouTube媒体のジャーナリストから猛烈な批判が起きているのです。

このような事件が起きると、報道の自由という権利を振り回し、「※社会の木鐸」面をして正義ぶるテレビ局。
「※世間の人々を教え導く人。または、世論を喚起して導く存在としてのジャーナリズムの重要性を表した言葉。「木鐸」は古代中国で人々に法令を知らせるために鳴らした木製の鈴。転じて、世間の人々を教え導く人のこという。」ネット記事より。

企業、政治家などが起こした場合、責任を追及して決着つけるまで報道し最終的な責任者を辞任迄追い込みます。

新聞もそうです。
親会社の朝日新聞はどうなの?

ところが、自分のところで起こした問題には頬被り、それでは報道姿勢に不信感を増長させて当たり前、問題を起こした部署の責任者はだんまり他局も同業の好(よしみ)か追及はしない。

インターネットで責任者の名は割れています。
間違いなく「第四の権力」に胡坐をかいて勝手放題ですね。
特権階級と勘違いしているのでしょう。

このままだんまりを決め込んでとぼけるとなるとさすがに世論も許さないのでは!

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