このタイトル、本の題名です。
開祖植芝盛平の講演テープで、言霊学、言霊などの言葉を聞き言葉の働き、その基になっていたアオウエイに関心を寄せていたことからこの本を見付けた時、迷わず買い求めた本です。開祖は「言霊とはアオウエイであります。言霊といえど、言霊学になってはいけません。」と講演されていたのですが、この本のはしがきを読んで「そーなのか」その一端を理解できました。
日本語、大和言葉の成り立ち、先人たちがどのように言葉を表してきたかを「はしがき」から引用します。
「「コトバの原典」とはアイウエオの音図のことです。日本語は一語一語に分けると、すべて音図に納まってしまう。その二語三語の組合せで日本語のとしての意味がでてきます。
その組み合わせで意味がでてくるということは、初めの一語一語に意味があるからであって、一語の意義を見究め語位相(タテ、ヨコの位置)を確かめて、秩序的に構成したのが、原典としての音図表です。・・・」
ここまで読んで、「言霊と言えどもアオウエイであります。」と開祖言われたことを理解したのです。開祖は一語以て合気道の説明をするのですが、例えば「・・・合気道には形はありません。魂の世界「ス」の一字によってよって禊に基づいているのです。・・・」合気道神髄より。
私にはわからない面があるのですが、「ス」は西洋にない発音とも言っていました。ただいえることは言葉の働きを重視して合気道の精神を説明しています。「言葉は魄、言霊はひびき」と言われています。
ここに言葉が出来てきた背景を感じ取れたのです。
「・・・平安朝の昔から語感に厳しい歌人たちによって、その秩序的な配列に長い間苦労が重ねられてきました。山田孝雄著「五十音図の歴史」によると、各人の主観によって、アイウエオ、ウァオイエなど、いろいろの音図が作られました。最後に歌人であり国学者でもあった本居宣長の時点で、決定的になったのが、現在私たちが使っているアイウエオの音図です。現代では人名簿や電話帳、ファイルの整理に至るまで日常生活の身辺にも使われ、子供の頃から記憶している音図は、日本人としてのアイデンティティでもありましょう。あまりに身近すぎて、それが外来の漢字(国語)以前からある、日本人本来のコトバの原典である事を忘れていることが多い。お互いの日常用語を原典に照らしてみれば、その伝統的な心の世界を知ることができましょう。21世紀を迎え世界の人との協調をするためにも、まず自分自身を知ることが先決です。お互いの日本語は、言(コト)は事(コト)である正直さを世界に知って貰い、自分達もまた、その言行一致の誠実に努力する必要があるでしょう。コトバの原典で自らを顧みて、その自覚と納得こそ百説の日本人論に勝る意義があります。その問題提起として取敢えず、日常用語を集め、原典に回帰して、日本人を考えてみる「コトバの原典」でもあります。」
このはしがきから、「言(コト)は事(コト)である」と説明を読んで改めて武士社会で尊ばれた徳性「言行一致の誠」の意義を理解しました。
具体的な表現として「武士に二言はない」、厳しい掟を守ってこそ武士と言う事ですか。
コトバの歴史からも裏付けのある「行い」と教えられました。
開祖は「声と心と拍子が一致して言霊となる」と言われています。
また、この人間に与えられたところの、言葉の魂を肉身と一つにして日々稽古して、天地の呼吸と合致せねばならぬ。「エィ」「ヤー」「トー」の掛け声にその働きを体現してこそ稽古とも言われています。
言(コト)は事(コト)なのでしょう。!
言葉にもこれほどの意味を持つ日本語、筆者が言うように「その伝統的な心の世界を知ることができましょう。」
コトバを知ることで日本の心が見えてくる。
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