続・体罰問題

2013032809580000.jpg体罰問題が、教育界、スポーツのクラブ活動、剣道、柔道などの世界で指導面での在り方として問題視され是正(?)に向けて活発な動きが見られるようになりました。

そんな状況下で、剣道の練習風景がテレビ報道されました。

2013032809570000.jpg

中学校剣道部の稽古中に、指導者が画面でのテロップで示すように殴る、蹴る、床に叩きつけるなど中学生に暴力を振るう場面が映し出されました。

この画面から見る限り、どう見ても剣道の指導とは全くかかわりなく、ただ単に指導者が中学生を虐めている印象しか伝わってきません。

指導している者は、部外者で指導を任されているようです。

 

この映像は、YOU TUBEですでに紹介されていたことラジオ番組で知っていました。

そう言う意味ではインターネットの方が時事性においては取り上げ方が早いですね。

技を磨く、体力を付けるなど心身の鍛錬という観点からは明らかにズレています。

全国の中学の剣道の部活で、ほとんどがこのような指導がされているとは思いませんが、大分市のケースは異常です。

武道ですから、厳しい鍛錬は当たり前、しかしこの暴力は鍛錬とは言えません。

厳しい稽古、鍛錬に耐えるためにと稽古するものが、挫けそうに成っている時、叱咤激励の意味で気持ちを奮い立たせるために

 指導的に行うものとは異質です。

 

私も大学時代、合気道の部活で経験がありますが、稽古過程で納得できる体罰には我慢はできます。

厳しい鍛錬について行けとの激励と受け止められました。

錬筋の鍛錬では、肉体的な負荷を求められます、気持ちが萎える時などはそのような行為は有効です。

この指導者、相手は未だ中学生、私から見て子供を甚振っているようにしか見えません。

さらに言えば、武道精神からも逸脱しています。

旧軍隊での体罰、私等は映画での知識ですが「ビンタ」を思い出します、しかし私刑(リンチ)は御法度、けじめのある運用であったかどうかは別として。

これなどは正に私刑(リンチ)でしょう。

 

このような指導者、ほんの一部の人たちで、正当な指導をされている人達の方が多いのでは(?)。

報道で取り上げるケース、話題性を追う事だけになり、偏向してしまい受け手側に誤解を招くだけになってしまうことは避けて欲しいもの。

悪い例ばかり取り上げず、教育的指導で有効に実行されている例もあるはずです。

そういうものも取り上げ、受け手側に問題提起として報道したらいいのですが。

最近、ラジオ番組で、「体罰」という言葉を用いることで実態が見えていない。

「指導・暴力」「躾・暴力」と分けて論じるべきと評論家が提言していました。

その通りと思います。

 

学校教育で、武道学習が必須となりました。

やはり、戦前のように武道を専門で教える教師の育成機関、国策として検討すべきです。

どんな組織であったかと「・・・、明治10年の西南の役で苦戦する政府軍を武術家が助けたこともあり、武術の価値が見直される。さらに明治27年(1894)、朝鮮で起こった甲午農民戦争(東学の乱)をきっかけに日清戦争が起こると、再び国民の間に武道への関心が高まった。・・・」、このような背景を受けて大日本武徳会が設立され、武道専門学校を生まれたのです。

武道教師として、国語、漢文の免許を持ち教壇に立ちながら柔道、剣道を教え、

立派な資格として世間からも尊敬される立場だったのです。

否応なしに自覚を促され、立派な教師としてなるべく研鑽したことでしょう。

フランスなども柔道教師は国家資格、暴力を振るうと即裁判と言われる環境。

このような機関を設ければ、大分市の暴力指導員のような者はなくなるのでは。

 

ただ言えること戦前の武道観は殺気を孕んだもの、命のやり取りとの前提で稽古をしていたから、厳しさは今の比ではなく入門する者も覚悟の上、師匠の指導に従順に接し厳しい、辛い稽古を耐えたことでしょう。

木村政彦が8人抜きを決め5段に昇進、師匠の牛島辰熊に報告すると9人目で負けたことはそこで死んだことになると叱責され鉄拳制裁、認識の甘さを反省し3倍稽古に取り組む切っ掛けとなったとか。

従業員に剣道をしていたものがいるので、剣道の部活を尋ねると中学の時、殴る、蹴るはあったとか、彼は大学でも剣道部に所属し寮生活をしながら稽古、上下関係に厳しい環境の中、4年間を過ごしたが、結果的には稽古仲間との絆は深まり卒業の際、皆で号泣するくらいの連帯感と達成感を味わったと感想を話していました。

厳しさを見て取れる稽古に「突き回し」があり、切っ先で喉を直に突かれるとか。

武専出身者の指導を受けたそうですが、稽古の基本にあるのは「命のやり取り」と。

こんなこんな話を聞くと、第三者からは暴力的と思われる環境を耐えられるのは、強くなるためにはと指導者との信頼関係によるものと思われます。

第三者の批評だけでなく、当事者の思い、見解を報道すべきかと。

 

 

 

 

 

 

 

コメントが 2件あります

  1. 新人類さんより2013年4月3日2:14 PM

    私は、例の剣道部の体罰は、ただの暴行傷害事案である
    と思います。あれでは、生徒が、やがて、お礼参りする
    格好の目的になってしまいます…。
    暴行傷害は、犯罪です!体罰は、指導です。
    私は、空手の修行で、組手の稽古で、やたらと
    きつい技をかけられたものです。ですが、地上最強を
    自負する空手であるからこその試練であると割り切って
    稽古しました。強くなるには、相手を威圧するほどの
    気迫・闘気が不可欠です。その醸成には、多少は
    体罰もやむ負えないでしょう…。最近の若い学生は
    特に男性は、女性のように着飾り、お洒落をします
    から、変な趣味でもあるのか?と疑いたくなるものです。
    男たるものは、強くなくてはいけません!
    高倉健の「男なら」をユーチューブで、聞くべきです!
    お洒落するより、腕を磨くことです!
    ジャニーズのように、女性でもあるまいし、踊って歌
    うのは、ご法度です。もう少し、手荒い洗礼を受けて
    成長するほうが、今の脆弱な学生には、必要でしょう。
    学問だとて、中途半端です・・・。他人の書いた
    レポートをただ書き写すだけでは、親が何のために
    学費を支払っているのか、わかりません!このような
    馬鹿を地で行くような為体の若者には、体罰くらいむしろ
    正当である!と考えております。むろん、暴行・傷害
    罪が適用されるようでは困りますが…。最近では、ただ
    生徒に量をこなせば、良しとする師範もいるようです…。
    偉そうに、「***のハヤブサ」などとブログを開設
    して、下らない浪花節を唱えています。弟子が不作は
    師の不始末…。義理も人情も理解しない師範が弟子を
    持つ世ですから、暴力犯罪が増えるのです。
    まずは、男は、強さを、女は、美しさを手に入れる
    努力から始めることです。

  2. 上野2013年4月5日10:10 AM

    新人類さん、
    コメント有難うございます。
    剣道部の指導、ただ単に暴力ですね。
    指導する側の見識が疑われる事態と思います。
    貴兄の武道の修行の体験からのご意見に同意を覚えます。
    禅の修行でも「喝」と言って棒で叩く体罰がありますが、
    これとて明らかに修行の一助、修行者の覚悟があってこそ容認される行為ですね。
    私も大学時代、同じような経験をしました。
    ブログにも書きましたが、神道の修行です。
    動機は、呼吸法を学ぶ事、1日、8回、1時間ほど正座し、鈴を振りながら祝詞を大声で発する3泊4日の修行。
    精神統一、集中心に乱れが見えると、背中、太腿を両手で叩かれ、覚醒、自覚を促されます。
    しかし、これによって導かれることも事実です。
    武道の稽古においても同様で、「導き」のあるものでなければなりません。
    修行、稽古などは、基本的には人間関係、いわゆる師弟関係ですね。
    絆があってこそ成り立つもの、指導する側にはその点の見識、自覚が求められるのでしょう。
    どんな分野にも、正しい指導者は求められます。
    モノ造りの「匠」の技の伝承など典型的な例ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS