牛島辰熊・木村政彦 師弟関係

続・体罰問題で触れた柔道家「木村政彦」が師である牛島辰熊に叱られ、奮起して3倍努力を目標に稽古したことを記述しましたが、今ではその彼を知る人は少ないのでは。

彼の柔道の戦績を紹介すると、「15年不敗」「13年連続日本一」「天覧試合制覇」など戦前の活躍は凄まじいものです。

私が木村政彦の名を知るきっかけがプロレスでした。
木村・力道山対決、日本一決める試合と銘打って行われた興行からです。

その頃、柔道家では三船十段を知っていましたし、
講道館が水道橋にあった頃、稽古を見学したこともありましたので子供心に関心を持っていましたが、観る機会がなく後で決着を知り木村が負けたと知ってがっかりした記憶はあります。

それだけ柔道には思い入れがあったのでしょう。
それから後、興行的裏話を知ることにより、真剣勝負ではなかったと。
成程、プロレスは興行だと分かりました。
真剣勝負だと体が持ちません。

木村がプロレスラーになった目的も金儲け、ブラジルに渡りプロレス興業を行うのですが、大人気を博したそうです。
その動機は妻が結核に罹り、高価な薬を買うためだとか。
彼の柔道家としての戦績が人気の原因です。

 

前書きが長くなりましたが、奮起するきっかけとなった師・牛島辰熊の言葉を紹介します。
「8人投げて9人目に投げられるとは何ごとか。試合は、武士が互いに白刃の刀を抜き放って殺すか殺されるかの真剣勝負をするのと同じだ。相手を投げるということは、すなわち殺すことであり、投げられて負けるのは、殺されるということだ。お前は8人殺して、9人目で殺された。木村という人間は、今ごろ地獄の3丁目あたりをうろついているんだぞ。お前が柔道を志す人間なら、試合ではどんな強敵が何十人いようと、投げ倒してしまうか、それとも中途で引き分けするかによってのみ命をながらえることができると思え。わかったか」。

この言葉を真剣に受け止め、日々9時間の稽古を自らに課して実行する思い、気迫には驚かされます。
それがあったればこそ、冒頭に紹介した戦績が残せたのでしょう。

 

師に38回のビンタを食らった経験談を語っています。
師匠と思う気持ちがあればこそ耐えたのでしょう。
そのいきさつは省略しますがビンタを食らった様子をこう書いています。
「・・・一ツ二ツ三ツ四ツ・・・・・・私は腹の中で数え始めた。ちょうど21を数えたとき、「ウーさん、お止めなさいよ」と芸者の一人が割って割って入ったが、アッという間に跳ばされて仰向けに転がされた。あまりの剣幕に、もう誰一人、止めに入ろうとしない。とうとう38回、思い切り殴られてしまった。・・・」
今だったら、マスコミが大騒ぎでしょうね。
それでも木村は納得したのです。
師弟関係のなせる出来事だ。

 

「木村政彦 我が柔道」からの引用ですが出版されて28年が経っています。
この本を買ったのも、小さい時から関心があったからでしょう。

天覧試合優勝で下賜された刀を持つ木村政彦。

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なかなかの色男、今風に言えば「イケメン」だね。

38回のビンタを食らった後、「かわいそうに学生さん、ちょっと顔を見せて」と先刻の芸者が血のついた唇にキスしてくれたと書いてありましたが、なんとなくわかります。

 

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