『・・・ラジオから「現場にいた方々に聞くと、爆発は防げた」と一様に返答があったと。無念さを感じます。
え~!
「海水注入をやって置けば」というのです。
放射能が出なければふるさとを離れることはなかったのですから。
当時の菅首相の対応が問題にされていますが、こんな事があったのですね。』
冒頭の記述、ブログ「ラジオで–爆発は防げた–」の一節です。
メルトダウンは防げたのにというわけです。
当時の首相菅氏の対応が後々、問題とされていますがこの人が居なければもっとひどい状況になったと想像されます。
その人の名は「福島第一原発、吉田昌郎(まさお)所長」、7月9日食道ガンで逝去58歳、ご冥福をお祈りします。
彼の人となりを想像させるネット記事、なんとなく納得です。
「・・・『死の淵を見た男』によれば、菅直人首相が東電本店に乗り込んできたのは、ちょうど吉田さんが自分と仲間たちの「死」を考え続けていたころだ。「撤退したら、東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」。テレビ会議で言い放つ首相に、吉田さんは背を向けてすっくと立ち上がり、「ズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れなおした」という。」
記述を読んだ時、思わず「う~ん」と納得でした。
ガミガミ怒鳴るだけで、現場も知らず勝手な事を言うなというサインに思えます。
気骨ある人だったのでしょう。
官邸、本店の指示を無視して海水注入しろ言っただけの事はあるサムライです。
さらに、
「・・・東京電力福島第1原発で、事故発生時の所長として現場の指揮を執った吉田昌郎さんが亡くなった。水素爆発を起こした1号機への海水注入をめぐり、中断を求めた東電本店の命令に背いて、吉田さんは独断で注水の続行を指示した。
注水を止めていれば、燃料溶融がさらに進んだ可能性があった。当時、原子力安全委員会委員長だった班目(まだらめ)春樹氏も「吉田元所長の働きがなければ、さらに最悪の事態も考えられた」と話した。
極限状況の現場で、吉田さんは冷静に炉の冷却が最優先と判断し注水を続けた。その決断とリーダーシップを、改めて評価したい。そして、一人の男の職責への使命感や矜持(きょうじ)が窮地を救った事実を記憶にとどめたい。
独断は英断になるとは限らない。むしろ悪い結果につながるケースの方が多いだろう。本店の意向を無視し、偽装工作までした吉田さんの行為は、本来なら許されるべきではないかもしれない。
しかし、当時の官邸と東電上層部は意思疎通を欠き、指揮系統も判断も混乱していた。現場の判断を貫いた吉田さんに救われたのは、官邸や東電幹部の方だ。
吉田さんの闘う姿は、作業員の結束力にもつながった。福島市で昨年8月に開かれたシンポジウムにビデオ出演した吉田さんは、「放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。部下は地獄の中の菩薩だった」と語った。
最悪の状況は脱したとはいえ、福島第1原発では今も過酷な作業が続いている。作業員の士気、高いモラル、責任と使命は、吉田さんの遺志とともに受け継がれているのだろう。「吉田さんじゃなければだめだった」と、多くの関係者が語っている。・・・」
平時と、非常時では、その状況判断、決定などの行動則が違ってきます。
所長、それを踏まえて起こした行動であったればこそ、日本が救われたのではないでしょうか?
現場で放射能の脅威と立ち向かう部下、それを知りつつ命令を下す所長、まさに真のリーダーであると思います。
平和ボケした日本にも、この様な人物が出てくるのですね。
ブログ「乃木希典」で記した記述を思い出します。
「・・・結局、乃木が尊重されなくなったのは、日本人が、人の生き死にを、直接に問題としなくなったからでもある。人を殺したり、あるいは死ぬかもしれない仕事をさせる、そういうギリギリの場面に立ってこなかった、逃げ続けてきたから、乃木は忘れられた。・・・」
彼の行動・姿勢から学んでもらいたいと、
朝礼で次の記述をどう思うか考えておけと言っておいたのです。
対象は20~30代半ばのスタッフです。
>一人の男の職責への使命感や矜持(きょうじ)が窮地を救った事実を記憶にとどめたい。
次の日、その質問をした所返答無、叱責しました。
矜持を持てるだけの技能を磨けと。
矜持(きょうじ)、それと克己、ブログでも触れていますが昨今の男には理解不能な言葉になっているようです。
全てとはいいませんが!
でも”このままでいい”とは思えません。
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