9月下旬でしたか、電話があり番組に広告を出してくれませんかとあり、
まぁー話しだけは聞きましょうと3日に会う約束をしました。
電話してきたのは、私のブログを読んで「なでしこジャパン」の熱烈なファンと思っての事でした。
実のところサッカーは好きではないのですが。
当社インターネットに載せ広告をしていますが、逆に、顧客調査にも使われていると思います。
何度かそんなアクセスがありましたから。
営業マン 月が変わり、約束の当日の午後に訪れました。
名刺交換でご挨拶、持参の資料から営業目的の説明が始まりました。
内容は、パンフレットを指し示しながらの説明、
テレ玉女子サッカーなでしこリーグ中継、浦和レッズレディス×INACレオネッサの広告のスポンサーにとの申し出でした。
一口15秒で¥○万円となり、御社の社名を出して広告するとの事。
熱烈なサッカーファンと思っている営業マン、盛んにその点を衝いて来るので、「実は私、サッカーファンではありませんよ。私らの年代は野球、相撲には関心がありますが」、「でも後でニュースを観て、澤選手がゴールを決めた場面に感動してブログを書いたんです」と返答すると、困惑した表情になり言葉が続きませんでした。
それでも言葉を探し盛んに勧めます。
「それじゃー検討させて」と一段落し、TV業界について私が質問する形で会話が始まりました。
最近感じていた事、バラエティー、お笑い番組が多くなって「ヤラセ」が目につき嫌味な印象を受けると話したのです。
営業マンであり、番組制作を担当しているわけでもないので、本音が出ました。
業界に身を置く立場でも、そのようには感じているようです。
度々、「ヤラセ」問題が番組制作にあたり物議を醸すことがありますが、テレビ草創期にすでにあって問題視されたことがあります。
大学野球中継で起きたことです。
それを取り上げて、テレビメディアについて疑問を投げかけたのが、確か評論家の大宅壮一氏、「一億総白痴化」と言う言葉を使って。
ですから、テレビ業界はその言葉を禁止用語にしていると記憶しています。
週明け、テレ玉から広告の件どうでしょうかと電話での問い合わせ、電話口で申し込みますと返事をすると、嬉しそうに「そうですか、断られるのではと思っていました。」返事。
それではお打合せに伺いますと言って翌日きました。
その際、色々と話題は政治、社会の風潮などに触れながらお話をしたのですが、私が常々日本人のナショナリティーが無くなっていると自身の見解を述べ、リクルート情報誌を扱っている営業マンの訪問を受けた時、話し合いした内容を取り上げ、彼に話したのです。
内容を記述します。
営業マン、年は26才求人情報を扱い、それの売り込みです。
フリーペーパーと言って、コンビニなどに置く求人紙もの、当社では使っていないこともあり説明を受けるためにも来てもらったのです。
リーマンショック時、今の半分位枚数が減り求人が落ち込みましたが、ここ最近求人が増えているとの現況など説明を受けて、
会話が進み、当世若者気質について私の思いを話したのです。
成程と納得したのが、注意をすると、「教わってません、聞いてません、マニュアルに書いていません。」と言い訳をすると話したのです。
その様な傾向にある事には同意していました。
当社の従業員にもそのような傾向があって、60才半ばの従業員が「挨拶しない、仕事を覚え様としない(メモをとらない事を指して)。」と嘆いていました。
その方達には若い従業員への注意、叱責をお願いしていました。
それでついてこれないなら、会社としても不用の人材とみなすからと言葉を添えておいたのです。
そんな話をして、「あなたはどう?」振って、20年前程使っていた出稼ぎのパキスタン人の若者の話をしてあげたのです。
パキスタン人の若者に何で働くと尋ねると、言下に「ファミリーのために働いている」と言い放つほどの決意、
それに比べるとダメだと比較論を、営業マンに話しすると納得していました。
いつものように、漢字テストを実施「克己」の漢字読めます?と聞くとやはり読めません。
これは、テレ玉の営業マンも一緒でした。
己に克つという意味ですよと!志しの大切さ、「艱難汝玉にする」の言葉を引用し、男として試練を乗り越えることの意義を教えてあげた事などを。
世間話が終わって、改めて番組が放送される日を確認、「浦和レディース×INAC神戸レオネッサ2011年10月30日(日)午後1時キックオフ」。
録画中継その日の午後7時。
人気がありたくさんの契約が取れたと言っていました。
ここにも「なでしこJapan」効果が出たようです。
テレビCMは効果が楽しみですね。
私も数年前、テレ玉に広告を出したことがあります。15秒間のCMを何回か流すパターンで○万円。
「自分のために働け」と激を飛ばす経営者は多いと思いますが、それよりも「ファミリーのために働く」のはもっと強い使命感を感じます。さらに、「社会のために働く」人も稀にいるようですが、並大抵の決意ではありません。尊敬に値します。給料の半分を毎月寄付していたサラリーマンを思い出しました。
自らの意思で「誰かのために働く」のは素晴らしいことだと思います。
「克己」は分かりませんでした。人の名前かと思いました。(´_`!)
シンさん、お早うございます。
ご返事が遅くなりました。
コメント有難うございます。
「ファミリーのために働く」と言ったパキスタン人の若者、
おじいさんの代から出稼ぎで収入を得ていた一族のようで、
自国に産業が少ないために出稼ぎせざる負えないのだと思いました。
その頃、日本はバブル景気の絶頂でした。
労働力不足が起こり、外人を採用していたのです。
日本の同世代の若者と比べると、人生としっかりと向きあい働く様に好感が持てたのです。
それに比べ、日本の若者は好景気に浮かれて享楽的な考えに流されていたような気がします。
ある会社の部長さんの話しですが、正社員で働くよりアルバイトで稼いだ方が収入があり、
逆転現象が起きていたとの事。
そんな時代を経験した若者も、バブル崩壊後20年経った今は40代半ばを迎え、或る者は炊き出しに並ぶ姿となっています。
パキスタン人の若者の様に生活感に根ざした生き方を持っていればそんな目に会うこともなかったでしょうに!
今では景況もすっかり様変わりして、20、30代の青年から出る言葉、
我々はそんな経験はなく、不況期の中で生活していると。
ある意味、若者に希望が持てない時代となって、
本当の意味で、政治家が頑張る時代となっています。
克己と言う言葉、死語になったかと思われるほど使われなくなっているようです。
50代半ばの方、意味は「己に克つ」と判るのですが読めませんでした。
男として大切な心掛けとされていた時代があったのですが。
自己犠牲の精神、克己心は大切な徳目とされない社会に変わったのでしょうか?。