4月下旬、市の職員が当社に訪れ水質汚濁防止法の改正について説明にきました。
訪れた方ともに30代前半の男性です。
川越第二工場には溶剤系洗浄装置が有るために、年2回ほど訪問し装置の使用状況などを調査しています。
いつも来られる方と、一緒に新任の方が同行していたので紹介を受け名刺交換を行いました。
多少、時間が有るようなので法改正の趣旨、またどのような状況がその法律に抵触するのかなど質問しながら懇談しているうちに私の関心事について話す事となりました。
それは、最近の学生(限定すれば部の後輩)が社会的慣行、儀礼などの付き合い方に関心が薄れていて、社会性に疎くなってしまっていること、また表現などが上手に出来なくなっているのが気がかりな事と話しました。
又一般的に、漢字の読解力が低下し、漢字が読めなくなっていることも心配なのだと話し、※リサーチした結果を踏まえ、「克己」と言う漢字を書き示し読めるかと試してみたのです。
案の定、読めませんでした。
なぜ、案の定と思ったかと言うと、「国語力が低下?」「漢字の話題に思う」「一億総白痴化という言葉」など、ブログに書いていますが、リサーチした中で明らかに大人と言われる年齢層に該当する人たちが漢字読解力が落ちているのです。
本を読まないか、耳にしなくなっているのか、使われなくなっている言葉なのか原因は色々有ると思うのですが、私にはそれが残念でならない事と思うのです。
使われなくなって読めなくなったと考えられる言葉が「克己」です。
訪れた両名とも読めないのです。
私などは子供の頃、大人、先生などに心がけとして大切なことと教えられていた言葉ですと説明しました。
いい大人がそれを知らないと言うことは、聞いていない、もしくは親、先生などが言わなくなったとしか思えないのです。
彼等にその意義を説明しました。
「己に克つ」と言う意味で、心をコントロールし、自制する心を持つことであり、いかなる状況にも心乱れない状態を言うと話し、その極地が「切腹」という作法に求められたと説明してあげました。
そう話してあげた彼等は、結婚をしています。その言葉を知らないで子供が躾けられるかと注意しました。
別れ際、私と話して何を理解したと問うと、「克己心」と答えたので、「よし」と返事してあげました。
でも、「克己」の漢字が読めないことは、やはり一先輩として情けなさを感じます。
こんな思いを持っていた矢先、次の日は人材派遣会社、営業マンと面談の約束がありました。
その日初対面であり、名刺交換を済ませ、派遣会社としての方針等を聞きながら、現状当社としても最近募集を掛けたが、それなりの人材が見つからなかったので、採用しなかったことも有ったと話し、現在派遣社員2名ほど使っている現状を説明したました。
派遣費用はいかほどか、採用にはどんな人選をしているかなどと質問して、会話は進み、いつものごとく営業マンに簡単な身上を質問、出身校、親、本人の年齢、結婚の有無などを尋ねました。
30代半ば、大学の専攻はどんな学科などキャリヤを聞きながら、話しの流れを変えて行ったのです。
そんな事から、昨日の両名のことを思い浮かべ、彼に「克己」なる漢字を書き示して、読めるかと聞いたのです。
彼は、「かつみ」と発音しました。
人の名前と思ったのでしょう。間違いでないが本来は「こっき」と読む漢字だと教えてあげました。
それではテストすると言って、「国語力が低下?」のブログを読ませることに。
声を出しながら読んでいきます。
4つほど読めない漢字にぶつかりながら、「克己心」という漢字の説明記述で意味を理解したようです。
30半ば過ぎの大人、読めないことを叱責しました。
子供を持つ身で、それは情けない事、「しっかりしろ」と思わず注意、そんなところに来客があり会話をやめ、面談を終わりにしましたが、また来させていただきますというので、いつでも構わないと告げ、彼は辞しました。
2日の間に、同じような体験をし、私のリサーチ結果は概して的を外していないような気がすると同時に、生きて行く上で、大切な心構えと教わった私にしては、それでいいのかと思うのです。
克己心の説明の一助として歌詞をご紹介します。
『嵐の中でも時が経つ
艱難汝玉にする
男は己に克つ者よ
君盃を上げたえ
いざ我が友よまず一献』
「まず一献」より
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