国語力が低下?

ブログ、「一億総白痴化という言葉」「漢字の話題に思う」などで触れた内容と重複する記述も出てきますが、当社へ仕事で訪れる方々と会話し、言葉使いで感じたことを述べたいと思います。

敬語の誤用例を紹介します。
当社へ仕事のことで来た営業マンと打ち合わせをしている時に出た言葉でした。
30代前半の彼は自分の考えを率直に述べるという思いで使った言葉です。
私にこう言うのです。「社長、わたし正直に仰いますが」と。私、多少面食らいながらも、「正直に話しますが」との意で使っている言葉と直ぐに分かり、「〇〇さん、それは相手に対して尊敬の念を込めて使う言葉だよ。自分に対して使うのは間違いだ」と教えました。

そういわれた彼、意味が飲み込めないのか怪訝な顔をしました。
理解させようと、「尊敬する相手が話す行為を、「仰る」と言い、尊敬語なのだ」と説明しました。ようやく意味が理解できたようです。
直ぐ理解できなかったのも分かります。
30年以上生きてきて、初めて注意されたのですから。

※ 前述の話は、決して「フィクション」でないことを申し述べておきます。

彼に日本語を正しく使えるようになれと叱責しました。そんな思いにかられるのは、彼だけではなく、他にも当社に訪れた方と会話して感じていたのです。

感じていたことは、語彙、vocabulary(ボキャヴラリー)が少なく、読めず、漢字で書けない言葉が多々あるということです。
「漢字の話題に思う」でも触れましたが、時の首相の誤読が取り上げられました。「有無」を「ゆうむ」と読んだのです。他にも誤読がありましたが。
かの方、漫画、アニメ好きでたくさんの漫画本を所有していることも取り上げられていました。
この話題から、子供の頃に良く注意された事を思い出したのです。
「マンガばかり読まないで本(活字)を読みなさいと」
やはり、目にしなければ覚えることも出来ません。
小学校の時、先生に注意されたことを思い出します。
「分からない漢字があったら直ぐ辞書を引きなさい。」
この注意は今でも守っています。

30代、40代の人たちと私を比較すれば生きてきた年数も大幅に違うので、私のほうが生きてきた分、語彙が多くて当たり前と思うのですが。
しかし、それだけでは無いと思います。活字離れ、読書離れと言われるように「本」を読まなくなった傾向がここに来て出てきたのかもしれません。
お笑い、バラェティー番組が増え、「バカ」を売り物にする時代では、漢字が読めなくても「恥」と思う感性が消えてしまったのでしょう。
漢字を多く知っているイコール教養があるとはいえませんが、目安にはなると思います。
お笑いタレント同様、無理やり「ウケ」を狙って面白く、おかしく振舞う方に思いが行き教養の無さに思いが行かないのでしょうか。

もう一つ、敬語誤用の例で、テレビで元女子アナウンサー第一号の方が、タレント化した女子アナへ注意した言葉。
「私のお誕生日」という女子アナがいますが、正しくは「私の誕生日」ですと苦言をしていました。
当時に比べ、言葉のプロという意識の無さを指摘したのでしょう。
自分に対して丁寧語を使う事が間違いと分かる知識が備わっていないのです。
「可愛さ」を振舞っている積りなのですかね。
全般に言えることですが、職業意識の無さが目立ちます。

次は、私が使った言葉の意味が分からなかった例です。
やはり、当社へ訪れた営業マンと会話した時でした。
誂える」という言葉を言った時、彼は理解できない様子を見せたので、その言葉の意味「判らないのか」と尋ねたのです。
「聞いたことがない」というのです。
私、「本当か」と答えました。
分からないのです。
使ったこともないのです。
私「そんなー」と絶句。
彼に、冗談交じりで「服や靴を注文してえたことないのか」と聞きました。
「ないです」との返答。
「子供の頃、貧乏していたのだなー」とからかいました。
「誂(あつら)え」は値が高くなりますから。
私が小さい頃より、衣料、靴など豊富にあるために誂えなくても間に合ったのかもしれません。
彼に「オーダーメードの意味だよ」と教えると、「そうなんですか」と返答し、理解したようです。

30年ほど年の差はありますが、これほどまでに生きた年代、生活環境の違いで使う言葉も違うことを知らされました。
彼に、他に試した言葉で、「克己」「泰然」「従容」「悠然」などが分かりませんでした。
心の有様を意味する言葉も使われなくなっているように感じていたので、これらの言葉、男に求められる素質だよと言ってあげました。

このような経験から、小料理屋で行った懇親会で、「誂える」という言葉を知っているかどうか、試しに聞いてみました。
すると、40代の女性は分かりませんでしたが70代半ばのお上さんは知っていました。
ある意味で「誂え」は死語に近い状態になってきたのでしょうか。
時代の移り変わりが影響しているのでしょう。
最近来社した、銀行営業マンにも同様な質問をしましたが、聞いたことは無いと言うのです。
彼の説明では、やはり誂える必要が無く、入手できるからではないでしょうかと言いました。彼もやはり40代前半です。
やはり死語状態なのか。

しかし、「国語」は教育の基本と成る言語です。「話す、読む、書く」を正確に表現できることは大切な素養であることは、これからも変わりません。
重要な教育の一環です。
語彙は豊富であるほうがいいと思うのです。

小説などは「書く」という技術が特化した作品です。話すは「演説」がそれにあたります。
やわらかい言い方すれば「話し方」です。
これも今の子供達、若者も含めて、下手になって来ており教育現場では「言語力」といって、検定を設け教えているとテレビで報道していました。
「考え、思い、意志を伝える」と言った意思表示の時間が減ってきたせいなのでしょう。
使わなければ能力は落ちるのです。

2、3日前、部の後輩と話す機会がありました。
自分の親より年上の我々を見て、緊張しているのか、他の先輩からOB会に要望はないかと問われても回答の言葉は出ないのです。
無ければ無いと、その旨の意見を話せばよいのですが・・・・と黙っているだけ。
事前に、この会合を設けた主旨はメールで連絡をしていたのですが、準備もせず会に臨んだのでしょう。
問いかけたOBから、「そんなことでは」と注意されていました。
大人しいと言えばそれまでですが、覇気がなく感じてしまいました。
学生とは言え、立派な大人、主体性を持って欲しいものです。

このブログを書いている最中に、電気工事屋の社長が工事の一件で来社したので、ついでに聞いてみたのです。
「誂える」を知っているかと。
その社長、私より一級下です。
知っていました。
こんな会話をしたら、彼が違う言葉で同じような経験があると言って、話してくれました。
『ある現場に出向いた際、「仕事にあぶれたから、現場の様子を見に来た」』とそこの責任者に話したら意味が通じなかったというのです。

「その責任者は何歳くらい」と尋ねると、
「31歳」と返って来ました。
これも死語なったかと冗談交じりで、彼と笑いました。
この言葉、日雇い労働者が仕事にありつけず「あぶれた」という表現に使われていたと記憶にあります。
私、多分映画から学んだかもしれません。
それにしても、「国語、読む、書く、話す」の技能は日頃から心がけて向上させようとしないと身に付かないのでしょう。
国語を大事にしたいものです。

<追記>その1

ブログのチェックをしていた時に、チャイムが鳴り、
新任挨拶にお伺いしましたと、銀行営業の方が来社されたので事務所に通し挨拶を受けました。
挨拶代わりに、通例の質問をしました。
何年生まれですか、大学は何処ですか、何処の出身など聞き、会話となりました。
今年、25歳になる彼に、当社のホームページをみてもらいながら、事業内容を説明しました。
ホームページにブログを掲載していることを話し、さっき最新号の原稿をチェックしていたので、読んでくれませんかと頼みました。
推測とおり、分からない漢字があり、突っ掛かりながらの読みとなり、読めない漢字を教えなければ成りませんでした。
読めない漢字の一つに「克己」がありました。
心の働き、有様を示す漢字は特に弱い傾向があることが認められます。
日常的にけの一環で、使われる機会が減っているのでしょう。
己に克つ」という意味ですよと教えなければなりません。

巷間、草食系男子、肉食系男子なる呼称が使われ始めましたが、この言葉すら知らないのでは、草食系が増えるのも頷けます。
私らの若い頃と比較して、情けなくなります。
こんな思いを抱くのは私だけでしょうか。
このブログの主題、国語力の低下を示す一例となりました。

<追記>その2

「誂える」、この言葉、生活でその経験があるないかで知る知らないとなるようです。

来社した保険外交員に、同様にこのブログを読んでもらったのですが、「誂える」は読めませんでした。彼、60歳過ぎです。

従って、この言葉は年齢層に関係なく「誂えた」経験があるかないかが、知る知らないの分かれ目の様です。

日本語自体、「オーダーメード」が「誂える」にとって代わったのかもしれません。

<追記>その3

「誂える」が読めなかった方に、「誂える」「克己」を付き合いのある方々に読めるか、読めないか調べて貰えないかとお願いしていたのです。

仕事の打合せで会う機会があり、私に話してくれました。

10数名ほど、20代から30代の人に聞きましたが全ての方が読めませんでしたと。

言葉として日常生活の中、使われる機会が無くなったのでしょう。

「克己心」とも言いますが、生きる上で大切な心構えと思うのですが、親達も子供に言わなくなったのでしょう。

だから、知らないのだと思います。

 

 

 

コメントが 4件あります

  1. 立村さんより2011年1月6日5:08 PM

    倉本産業の立村です。
    名刺交歓会では大変お世話になりました。
    国語力・・・耳が痛いです。
    不勉強な30代の一人として反省いたします。

  2. 上野2011年1月6日5:24 PM

    交歓会では有難うございました。
    貴兄より突然、名刺交歓を乞われて驚きましたが、
    とてもいい出会いとなりました。
    日本人の一先輩として忌憚無く言わしていただきましたが、
    素直に聞き入れてくれて嬉しく思いました。
    明日の時代を担う後輩として今後の研鑽を期待します。

  3. nekoさんより2011年4月20日7:47 PM

    こんにちは
    「国語力の低下?」のタイトルに惹かれました。
    私もちゃんと話せない人の一人ですが、仕事柄人の話しはよく聞いており言葉使いもいちいち気になる方です。
    先日テレビで、ある国立大学の学生に「○○は寝て待て」と「石の上にも○○」、「二階から○○」という○○の部分を埋める問題を出していましたが、誰もできなかったのにはビックリしました。
    勉強した中になかったのかもしれませんが、20年以上生きていた中でこのことわざに出会う事がなかったのだろうか・・・?と不思議でした。
    仕事をしながら聞くともなしに電話応対を聞いていると
    「明日そちらの方にお伺いをさせて頂きたいと思いご連絡を差し上げているのですが・・・」
    「だだ今○○部の方に転送をしましたが、○○部はどなたもお出にならないのですが(お客様の電話に)」
    (電話を受けて)「ハイ、私○○ですが!」などなど・・・
    黙って聞きながら、おかしい、絶対におかしいと思い、毎回「ハイ、私○○ですが!」と応対する人に言ってしまいまいした。
    「○○ですが・・・」と言うのは言葉の途中で、その後に「私○○ですが、どの様ななご用件ですか?」など続かないとおかしい。
    電話を受けるなら「ハイ○○です、○○でございます」で切るべきだと。
    でもそれほど問題視してないようで相変わらず「~ですが!」は続いてます。
    という私もちゃんとは言えてないんですよ
    国語力の低下を読んで、わかるわかる~と思わず書いてしまいました。

  4. 上野2011年4月21日9:50 AM

    おはようございます。
    小生のブログ「国語力が低下?」を読んでいただき有難うございます。
    「話す、読む、書く」など、日常的に使う内に変化して行く傾向にありますね。
    仕事柄、電話での会話は多くありません。
    「ですが・・・、」の言い方に気付きませんでした。
    これから気にかけて電話に出てみます。
    NEKOさんが言うように話すべきでしょうが、
    電話の会話の仕方として、相手の出方、反応をみる術として使われるようになったのかもしれませんね!
    小生、国語、漢字などに関心が向いたのは小学校、高校の先生、先生だった叔母の影響があり、国語を大切にしなければと思うようになりました。
    勉強になりました。
    また、コメントお寄せください。

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