続 読書感想、「一度も植民地になったことがない日本」

「一度も植民地になったことがない日本」を読んだ中で、興味が持てた話がたくさんありました。前回のブログでは中世、日本、ヨーロッパの歴史観に触れましたが、
「家族の絆」、「詩」、などのこともそれにあたります。これを書いた著者はヨーロッパに長く住んでいる経験から日本、ヨーロッパの文化、価値観の違いを書いています。
私では、到底知りえないことを生活体験から学んでいるようです。

 

ヴァカンス中の猛暑で死人続出の項で、「家族の絆」に触れてこう記しています。
「・・・2003年の夏ヨーロッパ、特にフランスは異例の猛暑に襲われた。・・・・
・・・タイミングが悪かったのは、これがヴァカンス・シーズンであったこと。こんな猛暑を想像だにしなかったお役人たちはヴァカンスで連絡が取れず、対策は後手後手にまわった。もちろん病院の医師も同様で、なんと死者が1万人以上も出た。
猛暑で亡くなった方の80%以上が75歳以上のお年寄りだったというのは何ともいた痛ましい。それも一人暮らしや老人ホームの人達が大半というから、全くやりきれない話だ。
さらに「引き取り手のない遺体が200体以上もある」という報道に、さすが個人主義のフランス人も愕然とした。・・・・・」。

日本も今年は酷暑、計測を始めて以来、最も暑い夏、熱中症で同じように、一人暮らし、高齢者がなくなりましたが、そんな事態までには至りませんでした。
個人主義とはどんなものなのか、あらためて考えさせられる記述です。

※個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論。
簡単な定義ですが、これに沿って前述の「引き取り手のない遺体200体以上もある。」の現象を考えてみると、フランス人は「生きる事」は自分の力で行い、人に頼るなと教えているのでしょうか?

ある意味で、当然の事と思えるのですが、家族の絆を大切にする思いが欠如しているような気もします。私自身は、親を面倒見なければと躾けられています。
家族は助け合うのが当たり前です。
従来、日本人にあった家長制度の考えからすれば、なんと親不孝な人が多い国なんだろうと思うでしょう。

著者の友人との「会話」を紹介しています。
イタリア人のロレンツォは、このニュースに怒り狂った。
「こんなひどい話はイタリアでは起きません。イタリア人は親子の絆をとっても大切にします。猛暑が続いている地域に自分の親がいることはわかっているはずなのに、電話一本しなかったのでしょうね」
「私もそう思うわ」と大きく相槌を打って、ついつい私も強い口調になる。
「親のほうだって暑くて困っている、体調が悪いと、なぜ子供に連絡しないのかしら?
日本では全く考えられないわ」

 

私、会話の内容を聞けば著者とまったく同じ考えになると思います。
でも、信じられない話と思えるくらい、私にとっては理解しにくい現象です。
でも戦後、日本は家長制度が揺らぎ、個人主義を見誤り利己主義に変質しています。
遠からず、似たような現象が起きるやもしれません。団塊世代が老境の域に近づきつつありますから。
会話は続き、
ロレンツォは、うれしそうに大きくうなずく。
「それが日本とイタリアの共通点ですよ。日本もイタリアも、とても親子関係が緊密です。
でもね、フランス人はエゴイストなんですよ。親と子は別と考えている人が多いんです。」
「ロレンツォ、あなたね、そういうこと言ってはいけないわよ。フランス人全部がそうではないと思うわ」

 

この会話の記述から、ヨーロッパ人、それぞれも国の特徴をしっかり見定めて交流しているのでしょう。フランス人はイタリア人をどのように見定め特徴をつかみ、批判するでしょうか知りたいものです。
アメリカの映画などは、翻訳されたイタリア人の蔑称が「イタ公」となっています。
ヨーロッパの国々は民族意識が強く根付いているようにも思われます。
著者、こんな会話から、この猛暑がイタリアで起きたら、また日本で起きたらこれほどの死者の数はならなかったと思いますが、如何でしょうと問掛けています。
今のところは起こらないでしょう。

 

著者はさらにこう続けます。
今の日本では介護が国民的問題とのこと。ヨーロッパでは病院や高齢者施設にまかせるのが一般的なので、子供が親を最後まで面倒を見るしきたりが残り、一生懸命やろうとしている人たちがいるのはとてもすばらしい事だと思う。これは世界に誇るべき、日本の文化ではないだろうか。

 

しかし日本も行く行くは同じ道をたどるのではないでしょうか。
私の工場のそばにそんな施設が二か所あり、おばあちゃんが住んでいる家の隣にもあります。ここ数年で建ちました。
読んでみて、今のところ、そういう点は日本人とイタリア人共通していると考えます。

 

「詩(短歌)」についてですが、
介護短歌という感性の高さの項で触れています。
「若いころの私はヨーロッパ式にプロにまかせるやり方がスマートだと思っていたが、
自分が年齢を重ねるにつれ、住み慣れた自宅で身内の人に介護されることの貴重さを痛感するようになった。・・・・・何より私がいちばん強調したいのは、介護という状況を『短歌』を作ることで客観視できる日本人の感性、詩作の心を育むことがこんなに日常的になっている日本人の教養の高さである。」
著者は日本の俳句人口200万、短歌人口30万と数字をあげ、この詩作ができる日本人、詩を作るのはプロの仕事と思っているヨーロッパ人に充分自慢できることと言っていました。
私自身、20代の頃、短期間ではありましたが短歌を作っていた時期がありました。
観察力を磨くにはとてもいい作業と言われて勧められたからです。
それと子供の頃は百人一首でかるた取りをしていたことも、その気にさせたのだと思います。
私の叔母は短歌集「浜木綿」と題し本を出版し、また、知人が「詩人の引力」という詩集を出しています。
私の身近にもいるくらいですから、著者がいう通りと思います。著者、本の中で日本人の良さを強調する記述が目につきます。
この詩作の能力もその一つです。

 

老々介護なる現象も起きている昨今、
私の義母80歳を超え、私が週一回買い物に連れて行き、家内のおふくろ90歳を超えて、隣に住んでる長男が面倒を見ています。
「死ぬまで元気でね」と願っています。

最後に、著者が作った短歌を紹介します。

親と子が入れ代ったねと老母いう一時帰国の襁褓替える夜
襁褓(むつき)はおむつ。

参考資料 「一度も植民地になったことがない日本」著者 デュラン・れい子
     出版 講談社α新書
reiko.jpg

コメントが 2件あります

  1. S.Uさんより2010年9月8日11:01 AM

    いつもお世話になっております。
    社長のブログ拝見しました。
    円高に対する記述は、とても見識高い方からの率直なご意見。
    おっしゃるとおりですね。
    先日、知人のアナリストからも聞いたのですが、日本も円を大量に増刷して供給量を増やせば円の価値が下がり、とりあえず円高は止まると聞きました。
    しかしながら、オバマ政権下ではドル安を推し進めており、それを日本政府が実行することはアメリカの政策と真っ向から対立すると。
    それをやる決断が今の民主党政権で出来るのかどうか。
    さながら経済太平洋戦争を髣髴させる事態ですね。
    いずれにしても社長のお話は、折に触れ私の心の背筋を伸ばす精神棒のような役割を果たしていただいていると思って感謝してやみません。
    今後ともぶれない一貫性のある社長らしいお考えを発信してください。
    乱文で失礼しました。

  2. 上野2010年9月8日11:16 AM

    コメント有難うございます。
    円高のブログ、
    塗装設備会社の社長として、長く経営された経験から得た見識からの判断は、
    的確で教えられることが多く、私としてもお付き合いさせて頂いて感謝しています。
    業界の先輩として、見習わなければと思っています。
    また、コメントより見解を示して頂ければと願っています。

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