大きな見出しでインターネットニュースで報じていました。
「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相。
インドのモディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の話題に触れ、その功績をたたえた。
モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。
首相は第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会している。首相の判事への思い入れは強く、両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めた。
インドのパール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。インターネット記事より引用。
この本の存在を知ったのが今から20年前、以前にもブログで書いていますが銀行支店長が贈呈してくれたからです。
この本を読む前は、負けた日本だけが悪いとは、子供時代から青春時代を経て成人するまで釈然としない思いを抱き続けていたのですが、この本を読んでその思いは氷解しました。
目次を過ぎて、11ページに書いてあったことがその根拠になりました。
パール博士こう述べています。
「法律のないところに犯罪はなく、法律のないところに刑罰はない。」
この法治社会の原則を無視し、行った裁判が東京裁判、だからこの裁判が復讐劇と言われる元です。
さらに続いてこう綴っています。
「・・・法律なくして人を裁き、法律なくして人を処罰することは、野蛮時代の私刑(リンチ)となんら変わるところがない。ところで東京裁判では、法律のないところに無理に「裁判所条例」という法律を作り、法の不遡及の原則まで無視してこれをさばいたのである。勝った方が負けた方の大将をさらし首にし、負けた国の兵士や婦女子を奴隷にしたり掠奪した野蛮時代と本質的にどれだけの相違があるというわけだろうか。パール博士の次のことばを想起しよう。『勝者によって今日あたえられた定義≪チャーター≫に従って裁判を行うことは、敗者を即時殺戮した昔と、われわれの時代に横たわるところの数世紀の文明を抹殺するものである。』」
さらに、
「・・・われわれは道義と法律と混同してはならない。極東国際軍事裁判は、文字通り『裁判』なのである。裁判は法にもとづいてさばくのであって、感情や道義で裁くものではない。・・・」
この記述を読み、勝者に罪なく敗者のみに罪を課したこと自体に間違いと理解でき、日本無罪と主張したパール博士の意図が見えてきたのです。
この裁判に関わったほとんどの判事が物見遊山、パール博士みたいに真摯に判事として東京裁判に臨んだ人はいなかったようです。
要は復讐劇、道義的な反省をあっても法律では無罪なのである。
「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」と モディ首相はかたり、
この言葉こそ、真実であり、
覚醒すべきである。
モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。
日本人も石碑を建て、その思いに報いているからこそ出る言葉だと思う。
インド首相、インパール作戦に参加した元日本兵と会ったと西村眞悟のツイッターで書いていました
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