この本、出版が1999年の5月、著者 小関智弘氏、1933年東京生まれ、都立大附属工業高校卒業後、1951年から大田区内の町工場で働き、その体験談をまとめた著書、戦後昭和20年代から平成にかけての時代の移り変わりと、当時の職人気質が綴られておもしろく読みました。この本から戦後経済復興を果たした基盤の”ものづくり”に従事した、様々な職人さんとたちの働きがあったればこそ成し得たことと、改めて思いました。
我々の世代の人達、集団就職で地方からだくさんの若者が東京にやってきました。
そんな人たちの先輩に当たる年代が著者らの世代が該当します。
徒弟制度がなくなり新しく変わって時代、しかしものづくりに生きる精神は引き継がれたようです。
内容を読み、当社で働く若い者にもその精神を理解してもらおうと朝のミーティングで教材として読んで聞かせた本でした。
私自身も、再び読み返してみて”ものづくり”の意気込みを再認識した次第。
多くの内容がありますが、特に若者に分かって欲しいと願った事柄を抜粋して見解を述べたいと思います。
当社の職人に心がけて欲しいと思ったことが「機械にニンベンをつけるとは」のタイトルでの頁に書かれていたことでした。
「・・・私のような鉄を削る仕事だけではない。鋳物を吹く仕事をする人たちや、木型を作るひとたちも、家を建てる大工さんも、屋根を葺く瓦職人や、ゆかたを染める職人さんも、それぞれの仕事のなかで、ニンベンをつける工夫をしているのを見てきた。最近では、ノーハウというカタカナ言葉がよく使われる。・・・略・・・わたしはノーハウとはニンベンをつけて仕事をすることだ、と思っている。・・・略・・・その豊田自動織機のもともとの名は豊田自働織機であった。自動でなく自働だった。・・・略・・・あの発明王にすれば、機械みずからが動くのでなく、みずからが働くのでなければならなかった。機械に人格を与えていたということである。機械にニンベンをつけておきたかったのである。・・・」、太文字部である記述が姿勢として覚えてもらいたい事。
「モダンタイムス」でチャップリンが演じた、流れ作業のナット締め、単一化されすぎて「機械にニンベンをつける」ことができない事を指摘し無人格を要求された事への批判でした。
本田宗一郎、その点を配慮し量産工場を造ったようです。
「・・・量産工場のラインというものは、よほど考えて作らなければ、人間が機械に使われてしまうような職場になりかねない。(中略)働くものが納得できず、いやいやながら作り出すものに世界の水準をこえる良い製品ができるわけがないと考えたからである。私自身が一人の従業員となって生産ラインに立ったとき、おれは機械に使われているという思いがしたらたまらないだろう。・・・」。
ものづくり、そこには職人の自己表現があり、その人そのものの現れなのでしょう。
だから、おもしろい。
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