憲法という言葉を意識したのはいつ頃だったのだろうか?
中学に入ってから知ったのだろうか?
身近な問題として気にはかけていなかった法律、だた解釈では”法律の法律”と教わった記憶があります。
その程度の認識から、日本国憲法が他国と違い、良い点は”戦争放棄”と定めたことと社会科で習ったのではないかと。
憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」。
それがどんな事なのか、あまり気にかけずに青年と成長していく過程で、いろいろな情報が耳に入ってきますが、
それと対比する、”永世中立国”スイスが国民皆兵と憲法で定められていることを知ります。
その言葉から「平和を維持」するための中立との認識だったので「国民皆兵」ということに意外な思いがしたことがあります。
がしかし、国際社会は戦後、朝鮮戦争、インド・パキスタン戦争、ベトナム戦争、中近東の紛争など争いが絶えたことはないですね。
でも私自身、海の向こうの出来事と若い頃は、気にかけることはありませんでした。
しかし、社会人となり家庭を持ち子を持つ親となって、意識の変化が起きるのでしょうか、次第に世事・世相、国際社会問題と関心を寄せるようになっていきました。
特に、教育問題には関心を持っていたようです。
1976年出版の「日本をダメにした戦後教育」著者西義之を買って読んでいましたから。
191007写真追加
30代になると、社会への関心は高くなっていたのでしょう。
その本で”高校生の売春問題”も取り上げていましたが、今では中学、高校生と手っ取り早い金稼ぎの手段になり驚きはなくなりました。
そんなことも一因となり、うすうすと戦後の体制に疑問を感じていたのでしょう。
その本のタイトルに強く惹かれました。
そんな背景には自分なりに考えてきたものがあり、ある確信へと変わるきっかけが「昭和45年11月25日」を読んだことです。
三島由紀夫のあの事件、その時は自決のすごさに驚いただけでしたが、これを読んで”三島の憂い”を理解し、主権国家としての存在は国防力なしに成立しないということが彼の考えから見えてきました。
十数年前、先輩が冗談で、「日本にミサイルの一つでも落ないか」と言ったことがありますが、その自覚を国民に持たせるにはいい刺激になると。
国防を他国に委ねるような、低い意識では”国家”としての意識が薄まっていくのでは。
“家族を守る”との意識、それは”国を守る”と同義のことと思う国民が育たないと主権国家としての歩みはできないのではないでしょうか。
“憲法”はその国の精神文化、伝統、歴史、民族性に立脚し包括されたものでないといけないと考えますが。
日本国憲法失効論、「ドイツ民族の見識」の記述の一部を紹介します。
「・・・強硬に抗議し、英、米、仏三国の軍政長官らをして、その意気と、正論に服せしめて、たんなる「西ドイツ基本法」を制定するにとどまったのである。ドイツの指導者達は、その上、念を入れて、その基本法の前文には「ドイツ国民は、過渡期における国家生活に、新秩序を付与するため、この基本法を制定する」と記載し、さらに末尾の第146条には・・・略・・・憲法の尊厳を確保し、この基本法の時限法たる性格を明確にしたのである。・・・」
第一次世界大戦で敗北したドイツ、そんな経験があるからこそ判断をできたのかな?
コメントを残す