OBと愉快な交流

大学時代、合気道部に所属して4年間の大学生活を過ごしました。
昭和40年の入部です。
当時の運動部は、どの大学も同じであったと思いますが、上下関係が厳しい縦社会。
服装は学生服の着用が義務づけられ、暑い夏も着ていたと記憶しています。
挨拶も先輩を見かけたら、どんな場所においても「チワー」※(こんにちわが詰まってチワ―です)と大声で挨拶、

学園内だけでなく、街路、駅構内、車中もです。挨拶を聞けば回りの人達は驚いていた事でしょう。
先輩同席の集まりでは、先輩が煙草を吸う際、間髪入れずマッチで火を付けなければなりません。
マッチはいつもポケットに用意。
同席した時点で、手の中に。

酒の席では注がれれば、一気に飲み干す事、これも決まりでした。

飲めませんとは決して言えません。

稽古は厳しいのは当然ですが、先輩たち面白がっていろいろな試練?を後輩に課して、楽しんでいた様にも思います。
しかし、上級生になれば立場が一転して後輩がピリピリしながら同じ事をしてくれるのです。

 

そんな青春時代が過ぎて、はや42年の時が過ぎました。
時は流れ、
時代の変化とともに、近年、合気道部の部員数の減少が問題となり、現役学生の部活に資金的支援の必要性が出てきたのです。
OB会としても組織だった運営が必要となり、そんな背景を受けてOB会会長を頼まれ、引き受けたことから、OBとの付き合いが増えてきたのです。

余談ですが、家内が引き受けることに猛反対します。

会長との呼称から大変な仕事と感じてのことだったかもしれません。

その集いが、OB会メンバーと活動について話し合う幹事会です。
顧問として、一級上の先輩がいます。この先輩には稽古で可愛がっていただきました。

顧問という事で、会の運営について機会ある度に相談しています。

この先輩、今でも鍛錬を忘れず体を鍛えています。

8年ほど前になりますか、就任挨拶という事で、副会長と自宅へお伺いした時、心から喜んでくれて、

久しぶりの会話、現役時代の部活の思い出話に熱中し、時を忘れ6時間ほどビールを飲み続け、奥さんには大層ご迷惑をおかけしたこともあります。

現在はメンバーは5人、それぞれ仕事を抱えながらの活動です。
年に3回ほどの集まりとなるでしょうか。
OB会運営について議論されるのですが、当然酒を酌み交わしながらの話し合い。
会長、副会長はそれぞれ、昭和44年、45年卒。
社会的には、リタイア―の世代、
下が53年、平成3年卒です。
それぞれ、社会に出て立派なキャリアを持っている世代です。
それが、話し合いを楽しくさせる要因にもなっているのでしょう。

 

最近、3日に幹事会がありました。
創部50周年の行事に関しての話し合いです。
市川のいつもの場所で、5時から開始。

風邪をひき体調は良くなかったのですが、メンバーと会える事、酒が飲める事が行く気を起こし一時間半ほどかけて市川に到着です。

合気道が大学の部活として始まり出した時期が昭和30年代半ば、
ですからここ2、3年50周年を迎える大学合気道部が多くあります。
わが母校の合気道部もその頃に創部されたのです。
大学への普及を推進したのが合気会2代目道主植芝吉祥丸氏です。

5時に集まれる者、私と副会長。
全員が揃うまで、酒を飲みながらの懇談となります。
この時間が結構楽しいのです。
それは、大学3年間ともに過ごし一緒に稽古したこともその一因でしょう。
現役時代は、結構稽古で可愛がってあげた後輩です。

 

待っている間、世事、会社の出来事、今の学生の部活意識など様々な話題が出てきます。
私、その日は会社は出勤となり、午前中、円高基調、受注量等などの景況を受けて、生産効率改善についてあるコンサルタントと話し合いがありました。
その中で、コンサルタントからISOを導入は非効率なものと見解を聞いたのです。
私も、ISOに関しては同じ見解を持っていました。
そんなこともあり、懇談中その話題を出したのですが、後輩の彼曰くその通りとの返答がありました。

その仕事に従事して、問題点もあることが分かっていたのでしょう。

私の会社に、ISOを導入した取引先が多くありますが、人員と手間、経費が掛かるようです。
良し悪しは運営にも拠るでしょうが。

彼はISOに熟知しており、そのキャリアを見込まれて現在の会社に勤務しています。

彼自分の信条を話していましたが、向上心がとてもあるようです。

現役時代、稽古の取り組み方も研究熱心だったようで合気道の特徴である体捌きには強い関心を示し稽古したことなど聞いていましたが社会へ出てからも同様に仕事に取り組んだと話していました。

見込まれたのはその様な働きぶりがあってなのかも。

 

懇談は弾み、会社運営、円高基調などにも触れながら時間は過ぎて、メンバーが揃い50周年行事の詳細を話し合い、
それを終えてからメンバーと懇談が再開です。
メンバーの幹事長がおもむろに、女性の写真を取り出し幹事の一人に紹介したいと言い出したのです。
彼なら、結婚したよと教えてあげました。
そうですかと、ちょっとがっかりした様子。
詳しく聞くと、そうやって4つほど縁組してあげたと言うのです。
それを聞いて私、多少の驚きを感じました。
このご時勢にと感じつつ。

 

彼は、会社勤めをしながら母校の師範代、町道場の指導も続けています。
指導者として人望がありそんな事も頼まれるでしょう。
彼とはOB会を通じて知り合いました。

今年は多くの部員が入り総勢20名との事、彼に現役学生の稽古の様子を聞くと高校生みたい、

合気道の特徴で関節技がありますが、その稽古の際に痛いと言い出す事がその判断のようです。

昔でしたら、そんな事口にしたらもっときつく極められてしまいます。

関節技の稽古は我慢がすべて、慣れてくれば次第に痛みは和らいでくるので、それまで耐えていなければなりません。

私の体験から言えば、2年生になる頃には痛みに耐えられてくるようになり、按摩程度に感じてきます。

我々の時代と違って稽古時間も半分に、鍛錬的には甘くなっている事など知ってはいましたが。

武道、武術を学ぶ部活として、そのことをいつも副会長とは問題視していたのです。

厳しい稽古と向き合っていた我々としては、厳しい稽古、鍛錬に部活の意義があるのにと。

それを理解させて稽古の仕方も再考すべき時期と思うのですが。

 

懇談が盛り上がっている最中、私次の日が娘の結婚式で着る燕尾服の衣装わせの予定もあり、
もっとその場にいたいと思いつつも帰宅となりました。

午後11時ごろ駅に着き、家に向かいながら副会長に電話を入れるとまだ懇談で盛りあっている様子、

他のメンバーも同様に、この集まりが楽しいのかもしれません。

 

 

 

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