今回の大震災で、被災された方々が地域ぐるみの助け合いで暮らす様子を報道していました。
地域が孤立化して援助が来るのに1ヶ月がかかると予想され、リーダー指揮のもと各家庭に残った食料を持ち寄り分けて援助を待つことに。
「T氏へ久しぶりの電話」で触れましたが、「ムラ意識(共同体、相互扶助)」と言うものが伝統として住民の意識にしっかりとあったからこそ出来たことと思います。
冠婚葬祭でも町内、村内の皆が手伝う慣習があり、被災に遭った直後すぐにまとまり対処できたのでしょう。
都市部では、近所付き合いを煩わしく思う人たちがいて、挨拶すらはばかる風潮もあり、震災の影響で近所付き合いを見直す機運が生まれているそうです。
子供の頃、近所付き合いの範囲の目安として「向こう三軒両隣」と言う言葉を聞きました。
その言葉の背景には、助け合いの意識があったからこそと思います。
隣組と言う組織も戦前にはありました。
戦時体制の中で考えられた組織です。
最近は全く耳にしませんが、隣組と言う歌があり、テレビでも聴いた記憶があります。
確かタレント楠トシエさんが歌っていたと思います。
1 とんとん とんからりと 隣組
格子(こうし)を開ければ顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり
2 とんとん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり
3 とんとん とんからりと 隣組
地震や雷 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり
4 とんとん とんからりと 隣組
何軒あろうと 一所帯(ひとじょたい)
こころは一つの 屋根の月
纏(まと)められたり 纏めたり
歌詞から読み取れることは、相互扶助の精神です。
戦時中の記録映画に、バケツリレーで消火訓練の様子を観た事がありました。
ご婦人がモンペを穿き、割烹着姿だったと思います。
海外メディアは、被災された地域住民が騒動を起こさず冷静に対応し略奪、暴動がおきないことに驚き、賞賛しています。
日本民族に連綿とはぐくまれている、精神文化の神道の影響も有るように思えるのです。
村、町 内で毎年行われる祭事、地方地方で形は変わりますが、皆が集い作業を分担して実施します。
そのようなことが地域の連帯感を育み続け、今回の災害にも一致協力団結が可能だったと思います。
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