3月11日午後2時46分に発生したマグニチュード9.0の大地震、東北地方に甚大な被害をもたらしました。
うちのばあちゃんの故郷石巻市に兄弟、甥っ子、姪っ子がおり、私の甥っ子が仙台にいます。
直後、全く連絡がつかず、姉に電話したら地震直後連絡があったっきり息子と連絡が着かないというのです。
彼の家族の安否も心配になり、インターネットなどで、避難所を調べ電話をして安否確認したのですが分からずじまい。
ばあちゃんも連絡を取るのですが電話が通じません。
電話回線、携帯電話がパンク状態でした。
数日後、ばあちゃんに訃報が、甥っ子が運転中に津波に飲まれてしまったのです。
私の甥っ子、連絡が着かなかったのですが大丈夫だろうと思い連絡が取れるのを待つことに。
そうこうしていると、ばあちゃんが電話が偶然繋がったと連絡があり私の甥っ子の家族は無事と分かりました。
それから1週間ほど経って甥っ子と連絡がとれ、仕事柄飛び回っていたとの事、一週間ぶりに風呂が入れたと言っていました。
彼、仙台市にいるので、そちらの様子はと尋ねるとまるで地獄、戦後の東京の焼け野原がこんな様子なのかと、感想を話していました。
彼は道路工事関連の仕事に就いています。
地震に遭ったのは橋の道路舗装の工事中、作業員が落ちなかったかと確認に回ったと話していました。
仕事柄、あちこちと回っているために、被災地を撮影していると言うので、送ってくれと頼みました。
それから2日後メールで送ってきた写真がこれなのです。
本当に何もかも津波に飲まれ破壊しつくされ、荒野同様の状態です。
国道45号塩竃市、平行して仙石線の線路があった、右側。
国道45号松島町内
国道45号多賀城市
遺体がそのままの車両には赤ばつ印
本人曰くこのような車両がたくさんとあったそうです。
心痛みます。
見渡す限りが瓦礫ばかり。
手前より向こう側は海。
写真から甚大な被害と思えますが、実際目の当たりにしたらどんな印象が湧くか想像が出来ません。
被災地の方々が懸命に復興へ向けて活動しています。
頑張ってください。
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