日本人が台湾に遺した武士道精神、読書感想

再び弟子と会って、次はこれを読んでみないかと薦めた本が「日本人が台湾に遺した武士道精神」でした。彼はこのタイトルからすぐに「これがいいです」と返事をし、借りる事となりました。
前回に読んだ「日本人と武士道」の感想を聞いたところ、あまりピンと響かなかったけど、これは 面白く読め3回読み直したと感想を話していました。
彼の持つ情報などと記述が一致する点があってイメージが広がったのかもしれません。
彼が50才を前にして、「武士道」に興味を持つに至った経緯は(その1)で書きましたが、戦後体制では日本の精神文化が顧みられなくなったために、話題に上がる機会も減りその年まで関心が向かなかったのでしょう。

しかし、彼、昨今日本人の道徳観が荒んできていることに「憂い」を感じるようになったことが、関心を寄せる大きな動機となったようです。
自身のブログにも、そのようなことを書いていました。
私と比べて、生まれた時期、場所などが違い「武士道」という言葉を耳にすることが少なかったのかもしれません。
私が物心ついたころ時代劇映画で見る武士のあり方が知識となり、忠誠を尽くす、強い人と思うようになり、漫画では少年剣士「赤胴鈴之助」が流行り、剣の修行の厳しさなどを知り、そのような事柄が身近に感じられたので、「武士道」がどんなものか子供なりに理解したのでしょう。
当時はまだテレビもなく、映画全盛で時代劇映画が多く作られよく観たものです。

次の記述、前回にも触れた内容ですが、・・・
いつ頃からかわかりませんが、そんな時代背景から「武士道とは死ぬここと見附けたり」という言葉を知り、「葉隠(はがくれ)」の話と認識していました。
22歳の時、京都に行った折、本屋でその本を見つけ購入し、それが、武士道に関連する最初の本となり、それ以降眼に留まれば購入するようになりました 。

 下の記述は弟子の読書の感想文です。
先入観でしょうか職業柄、さながら実況中継をしている記述になっているような気がして、文章にリズムを感じ、強調するところは語気を強めているように感じました。
「日本人が台湾に遺した武士道精神を読んで」
「率直な感想から述べるとする。戦後の日本人が失ってしまった精神的根源を台湾の精神的土壌に追い求めなければならない現実・・・嬉しくもあり寂しくもある。というのは、武士道はしっかりと継承されているという現実に対してへの嬉しさ。その反面で発信した大本にはそれがなくなってしまった寂しさだ。
しかしこれは現代日本人に対する警告でもあると思う。台湾に残された武士道とは、勇気と正義感・・誠の精神である。一度決めたら頑として譲らない覚悟、これが台湾人の心を打ったのである。ただし、これは戦前の日本人に対してであり、決して戦後の日本人に対してではない。
滅私奉公という我を捨ててまで尽くそうとする心意気・・・これに台湾人は心引かれたようだ。

 

そこには日本人の無償の愛があったように思われる。日本の統治なくして台湾の発展はなかった。台湾に経済システムを導入したのは日本人だ。・・と台湾人が言っているのだ。その根底にあるのは、日本人の”人と国のため”という使命感・愛だ。それが戦前に日本にはあった。
しかし第二次世界大戦で日本は敗れた。戦争で完膚なきまでに敗れたことのなかった日本人には、あまりにも大きな衝撃であったようだ。私は高度成長期に育っているため、その時の苦労は知らない。ただ、占領政策によって国家主義は袋叩きに会い国を消滅させようとする反日主義が台頭し日本の土台が揺らいだことは歴史を調べていくうちに理解できた。日本のマスメディア・教育分野が奪われた。日本人の根底にあった精神文化が継承されなくなった。そして現代の日本人が出来上がった。

戦争中マッカーサーが恐れたのは、戦前に日本人の誠・真の精神・滅私奉公の精神であったのであろう。それがなくなった現在、マッカーサーの政策は大成功を遂げたのである。米国のオバマ大統領も日本など単なる属国程度にしか見ていないように思われる。相手にしていないように感じる。国際会議で周りの顔色を伺っている日本・・海外から見ると今の日本人にはしっかりとした柱・ポリシーが無く見えるのではないか。そんな気がしてならない。迎合ばかりはやめようぜ!

「日本人とはどんな人たちですか?武士道って何ですか?」答えられる者が何人いるか。
昔あった気概はどこにいったのか。私は合気道を20年ほど修行した。そこには日本人としての気概があったので学ぶ気になったのだ。しかし、それでも当時、最高師範から「これからは武道も外国人から学ぶようになるぞ」と警告を与えられていた。
日本人は西洋から来る文化に興味をもち、日本の伝統文化を学ぼうとしない。あまりにもアメリカナイズされすぎた。海外の文化が悪いとは思わない。寧ろ良いものは積極的に取り入れて良い。しかし、日本文化を学んでからでも遅くない。俺たちは日本人だぞ!
おそらく今の教育システムの弊害だろう。本来学ばなければいけないのは人間作りである。人間作りを怠った弊害か。人間作りをするのが本来の学校の姿であるのに、今の教育は点数の取り方・・いわゆる処世術だけを教えている。私にはそう見える。
道徳という授業が無いと聞く。一番大事なのは道徳観だ。道徳観のなくなってしまった日本人の親は尊厳よりも面子を重視してしまった。これでは子供たちにも一番大切なものは教えられない。点数よりも大切なのは道徳観だ。

日本の学者やジャーナリストが中国から脅されてすぐに怯み中国に迎合することしか書けない現状。日本人は正義感を失い勇気・責任感が無くなり臆病になっているとこの著者は言っている。勇気ある日本人は敗戦と共に死んでしまった。
最後の一説:「戦後の日本の知識人の中で敢然と中国の内政干渉や歴史捏造に異議を申し立てた者がいったい何人いるだろうか。中国の歴史捏造の実態暴露を台湾の学者だけにまかせていて、果たしてよいものだろうか。日本人の良心と良識から鑑みても非常に疑問である。」
これを台湾人に言われ日本人はなんと思うか。立ち上がれ日本!自分も含め今こそ日本人はその原点に戻るべき・・・そう考えさせられた一冊だった。」
この感想文から察して、彼も一日本人として自覚を強く持ったようです。
過去の日本人の高い精神性に感動したのでしょう。
今彼は、「日本武士道史」を読んでいます。
どんな感想を持つか楽しみです。

彼、「日本人と武士道」にはあまりピンとこないと言っていたのでどう言うことかと読み直ししました。
アメリカ人から見た眼での記述なので、彼らの考え方、見方の特徴を勘案しなければならないところが読みづらい感じがしたのでしょう。
私としてとても興味を引く文章があり、一億総懺悔と言いつつ敗戦の反省、総括を自ら行わなかった事が如何にまずかったか想起させられました。
それが次の記述です。
「大学に入って間もなく、私はH・ミアーズの※『アメリカン人の鏡・日本人』という書物を読んだ。そのとき自分が彼女にたいしてはっきりと怒りを感じたこと、しかしそれが不安に根差したものであると自覚していたことを私は今でも覚えている。彼女によれば、太平洋戦争はアメリカが半ば公然と仕掛けたものである。日本のやった大東亜戦争も、アメリカを含む白人諸帝国のアジアへの侵略や攻撃にたいする、反撃であり模倣である。あれだけ膨大な資料を駆使して立証されれば、彼女の言い分は少なくとも一半の真理はあると思わずにおれなかった。今でもそう思っている。つまり、かっての日本人が示した侵略性や攻撃性はアメリカのやり方の反映だということである。あの戦争が終わってから三年、アメリカが正義の代表と思われていたあの時期に、あのような主張をなした彼女こそは、アメリカの良心の証である。・・・・・・・・」。日本人と武士道より。

※どのような本かと調べましたら、紹介文に次のような記述がありました。

1949年日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた衝撃の書。戦後50年記念出版(帯書きより)。
1.パールハーバーは青天の霹靂ではなかった。アメリカは、さしたる被害なしに日本に第一撃を仕掛けるように画策した。
2.
原爆投下は必要なかった。それは日本に対して使ったのではなく、ソ連との政治戦争で使用したのだ。
3.
終戦直後、「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張したアメリカの女性歴史家ヘレン・ミアーズ。日米関係が軋む今日、日本人必読の書!

買って読んだ方がよさそうです。

1、2の項目に記されていること、耳に入っていました。情報源はこの本からだったのでしょうか。

大東亜戦争の大義の一つに、東南アジア解放というものがありました。

確か、当時はタイを除いた他は、西洋列強国の植民地でした。

戦後は、次々と植民地支配を打破して独立を果たしている。

学生の頃、テレビ番組で、「敗戦時、日本兵がインドネシアに留まり戦闘を指揮してインドネシアをオランダから解放したこと」を知りました。その時の兵隊さんが出演されていました。

それが、H・ミアーズの言う「反撃」にあたるのではないのでしょうか。

他に、7,8年前になるでしょうか私が所属する合気道関連の会が主催する講演会があって、当時ビルマ(現 ミャンマー)で、開戦直後ビルマ独立義勇軍の大尉として、ビルマ兵を指揮してラングーン攻略に参加した方の体験談を聞いたことがあります。これも大義の証として説明できます。植民地支配していたのはイギリスです。
この方大正12年生まれです。ご存命であれば87歳になられています。生き証人として、様々な場所で講演をして頂きたいものです。

日本軍の負の印象を払拭するためにもマスメディアでも取り上げ、
アジア解放実現のために戦った日本兵がいたことを、歴史教育で教えるべきです。

敗戦の反省、総括が無いまま、一億総懺悔で「すまない、すまない」と顧みず、知らず知らずに「自戒」が「自虐」となって、国旗、国歌で揉める国になったのでしょう。
かの敵国では、一女性が良心に従い先の大戦の的確な総括しています。
いまからでも遅くはありません。

わが国でも、やらなければならないことではないでしょうか。

悲惨さだけを訴えても、反省、総括にはならないと思います。

 

参考資料 「日本人が台湾に遺した武士道精神」著者 黄 文雄 出版 徳間書店
     「日本人と武士道」著者 スティーブン・ナッシュ 出版 角川春樹事務所
     「アジア時報」出版 財団法人 アジア調査会

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