悪魔でなく善魔??なーに?。

令和5年11月4日付の産経抄に紹介されていた。
「芥川賞作家、遠藤周作さんはたびたび悪魔ならぬ「善魔」という言葉用いた。特徴は「自分以外の世界を認めないこと」と「他人を裁くこと」だと遠藤さん述べている。「自分の愛や善意におぼれ、眼がくらんで自己満足しているのだ」。日本社会で今、この善魔が跋扈していないか」産経抄より。

「自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者――それを善魔という。」ネット記事より。

冒頭、善魔という言葉の定義を書き知るした理由が「LGBT法成立」により陰に陽にと影響が起こす問題を取り上げている。
産経抄赤傍線にある、
●心と体の性が一致しない経産省のトランスジェンダーの女性に職員女性用トイレ使用を制限するのが違憲と断じた最高裁。
この件に疑問符を投げかけている。
ネット記事より。
少数に当たるトランスジェンダーの男を女性トイレを使用させることで大多数の「真の女性」に不愉快な思いを抱かせる点について全く配慮がなく「善魔」と言うべき行為と思える。
民主主義国家、票決の際多いことで決める大原則のルールに則して治めている。
野党議員が口癖のように言う、「多様性」「少数派の意見を尊重」という善魔が跋扈する様になってからこそ生まれた現象。
それにより陰における不具合も生まれている。
少数派の意見を尊重し、多数の人々の考え、意見は無視していいのかとなる。
人権人権と声高に言われてきて久しいが、その考え方に矛盾が起きている。
顕著な例が、犯罪における加害者の人権はと言うが、被害者の人権はとなる訳で、とくに殺人事件なのでは殺された人の人権はと矛盾を感じる。
●戸籍上の性別変更に、生殖不能手術を条件とする特例法条項を違憲として一連の判決・・・。
これに関しても性適合手術を経て女性に性別を変更した「特例法を「守る会」の美山みどり代表は、最高裁に憤る。
安心な場所を求める女性の権利と保護も阻害されると反対しているのである。
性転換手術をして女性となったトランジェンダー(男)の人は、それを尊重するからこそ手術した訳で、その覚悟がなくてはダメと言っているような気がします。
現状だと極論ですが、私(男)は「女」と言えば女性となれるのです。
※昨日11/13テレビ報道で、私は女と言い女風呂に入った男性が報道されていた。
今後も出てくると思うよ!
世論がLGBTに流れて、容認する風潮があるから。
善魔の例として自治体に熊の駆除に対してクレームを入れる輩もそれに該当するね。
果たして、このまま善魔が跋扈して社会的秩序を壊し、世の中「男と女」で成り立ってきたものをいびつにしていくのが懸念されます。
世の中、世界各国が動いていますがそれにつられてLGBT法成立を急いだ日本、とくにヨーロッパの歴史においてそのような立場の人を迫害してきた白人社会の過去からの反省がそれに色濃く反映しているのでしょう。
参考資料
レズビアンの歴史

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