ジャニーズ事務所の性加害問題からジャニー喜多川の性癖がそれにあたる言葉と初めて知りました。
ペドフィリア・・・
ペドフィリア(英: pedophilia)とは、幼児・小児(通常13歳以下[1])を対象とした性愛・性的嗜好のこと。略して俗にペドと呼ばれる。類義語には小児性愛(しょうにせいあい)・小児愛(しょうにあい)・児童性愛(じどうせいあい)・婉曲的に幼児好き(ようじずき)がある。思春期の子どもへの性的嗜好はエフェボフィリア(英: ephebophilia)という。ウキペディアより。
出典元:ネット記事より。
性愛形態に色々の言葉あることを知ったのが小学生の頃かと思いますが、昔風にいう「男女(男なのに女っぽい)」性の形態として「※シスターボーイ」なる言葉を知ったのは、丸山明宏が歌い流行った「メケメケ」からでした。小学校4年時です。
中学生になると、そんな同級生が居ました。
走り方が内股、女の子と自然に親しく話が出来る男の子、女っぽいだけで変わっているなと思うだけで偏見はなく、女の子と気安く付き合うことが出来るのを羨ましく感じた事を思い出します。
※〘名〙 (洋語sister boy) 風貌(ふうぼう)、態度、性格などが女性のようになよなよした感じのする青年をいう俗語。※ふるさと(1958)〈谷崎潤一郎今日のシスターボーイの先駆とも云ふべき世にも美しい若衆」ネット記事より。
子供ですから深く考えもしませんでした。
それ以前、性風俗の言葉でパンパンガ―ルを知っていました。
おそらく周りの大人が使っていたから覚えたのでしょう。
時代劇映画を良く見ていたので「遊女」なる言葉を聞いていたと思います。
パンパンガールなる言葉が記憶に残ったのは、昭和20年代、おそらく朝鮮戦争のアメリカ兵の間に生まれた黒人の合いの子が近所にいましたので。
その後高校生の頃「ロリータ」という映画知り、大人が少女に対して恋愛感情を抱くストーリーと記憶にあります。
「『ロリータ』(Lolita) は、ロシア生まれのアメリカ合衆国の作家、ウラジーミル・ナボコフの小説。1955年刊。少女性愛者ハンバート・ハンバート(1910年生まれ)と、彼が心惹かれた少女ドロレス・ヘイズ(1935年1月1日生まれ)との関係を描いた長編で、全体はハンバートの手記の形を取っている。
初版はフランスのパリで出版され、内容をめぐって論争を引き起こしたのち、1958年にアメリカ合衆国で出版され、ベストセラーとなった。出版当時はポルノ文学との評価も受け、5ヵ国で発売禁止処分を受けたが、現在ではアメリカ文学の古典として認知されている。
『ロリータ』(Lolita)は、1962年のイギリス映画。原作は1955年に出版されたウラジーミル・ナボコフの同名小説。ナボコフ本人の脚本で、スタンリー・キューブリックが監督を務めた。上映時間152分。モノクロ。日本での公開は1962年9月22日。」ウキぺペディアより。
そんなことにさらに関心を持つ年頃になると、「ホモ」「レズビアン」と正常でない性愛形態を知ることに。
しかし、それは異常な性愛形態であり、よくない形態と認識していました。
ジャニー喜多川の性加害問題を取り上げたのは日本でなく、英国放送BBCであった点が、日本がこの問題に対してグローバルな視点がなかった事を指しています。
「おぞましい性加害が広く知れわたり、ジャニー喜多川氏が生前に手にした芸能プロデューサーとしての功績は抹消されたに等しい。多くの被害者の苦悩にようやく光を当て、ジャニーズ事務所に喜多川氏の性加害を認めさせるきっかけを作ったBBCには敬意を表したい。」ネット記事より。
成人して行く過程で性愛形態についての知識が入ってきましたが、「ペドフィリア」を知らなかったです。
ただ、意義を調べた結果「ロリータ」から派生した「ロリコン」と同義だなと思います。
他に、性愛形態を示す言葉として「衆道」なる言葉もあります。
「衆道(しゅどう)とは日本における女人禁制又は極めて女人禁制に近い環境で発生した、身分や立場の差がある男性同士の男色をいう。「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道」(じゃくどう/にゃくどう)、「若色」(じゃくしょく)がある。身分差があるため、現代の価値観だと、男性ばかりの職場における上司によるセクハラ・パワハラ、年少者側の年齢次第で未成年淫行に近いとも指摘される。ただし、年少者の中にも出世するために利用するものもいた。身分差の無い同性愛男性者同士(真性同性愛)と異なり、機会的同性愛の面が強かったので女性と性的接触が容易な時代になると衰退した[1][2]。」ネット記事より。
ジャニー喜多川のケース、立場を利用してしていたことを考えれば、昔だったらこれに当たるのかな?
ジャニー喜多川の性加害問題、フォーリーブスの北公二が暴露していたし、週刊誌でも取り上げていたし、ある国会議員が取り上げていた。
「23年前、ジャニー喜多川氏の性加害問題が国会で取り上げられたことがある。自民党衆院議員(当時)の阪上善秀氏が、警察庁や厚労省(当時は厚生省)の官僚たちに対し、「ジャニー喜多川社長が若い男性タレントに性的虐待をしている」と追及していたのだ。BBCも興味を持っていたという阪上氏の質疑とはいかなるものだったのか。息子が語った「父の思い」とともに振り返る。」ネット記事より。
このような状況にも、警察、メディア(テレビ局)が知らんぷりしたのは芸能界という特殊な世界だとの認識で警察は動かず、テレビ局は視聴率優先で進め、ジャニーズ事務所の顔色を窺いジャーナリズム使命を失念して居たからでしょう。
海外の報道で、大富豪エプスタインのペドフィリアの手助けをした元恋人に禁固20年の刑が下されている。
日本ではこのよう「性」問題に対して大きな認識のずれがあったからでしょう。
昭和30年代に「一億総白痴化」なる言葉を残した評論家大宅壮一が危惧した、テレビ局の「やらせ問題」(視聴率・関心を呼び込む)、テレビ放送が始まった頃からの流れでジャニーズ事務所の横暴を許すことと結び付き、性加害が容認された来たのでしょう。
被害者数百人ジャニー喜多川はエプスタインを超え、世紀に残る大事件として歴史に刻まれるのでは。
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