昨年11月中旬に、合気会から取材の申し込みをメールで受けました。
担当者にその理由を聴くと、ネット「合気道 社長」で検索し、調べた事からとの事でした。
取材のネタもテレビ、新聞同様と同じ手法でやるのかとネット社会を実感しました。
取材を受け、色々と問答しながら話した内容を記事にしたようです。
私が合気道と出会ったのが昭和40年日大生産工学部入学時、クラブ活動(武道関連)をしようと思いたって、その珍しく思えた「合気道」で入部を決めたことが始まりです。
今でこそ世界で何百万の愛好者が居ると言われていますが、当時は私の会員証の番号が、第11060号と10000台、この57年間で世界に広く普及したことが分かります。
あの当時それは想像できませんでした。
入学当時、合気道の指導者は金井師範、それが後任に就かれたのが有川定輝師範、金井師範が辞めたのはアメリアボストンへ指導に出向いたためと後で分かり、この頃から海外普及を盛んに合気会は行っていたのでしょう。
因みに開祖植芝盛平は昭和30年代にハワイに行っています。
海外普及の下地はその頃から始まっていたようです。
私の知る範囲ではビルマが速かったようです。
普及が広がるにつれて合気道も私等が稽古した昭和40年代と違い、今は武道というよりスポーツ的な要素を大事にし、楽しく、面白くと稽古方法も変わっているようです。
関節技は極めず、緩やかに行い、ダメージを与えない様にと聞いています。
私等の時代は、耐えられるように極限まで決められるので、最初のうちは痛さで心がくじける思いに耐えるのが稽古でした、容赦はなかったですね。
1、2年の時の夏合宿では手首、膝が擦り剝けて血が出て痛さを耐えなけらばならなかったです。
私の経験では、大学2年の合宿を終えて家に帰った時、40度の発熱がでて親に連れられて病院に行ったことも。
原因は各部位のリンパ腺が腫れての発熱でした。
今振り返れば、いい体験をしたと思える私が居ます。
そのようなキャリア(大学合気道部)が後に、知り合いに頼まれ合気道を指導する事(昭和52年~平成18年)となったのですが、この経験が私にとって非常に大切な意義を持たせることになったのです。
指導する上で、何が大切かと理解できたのです。
合気道は昔の稽古形態で技の型の反復練習です。
柔道と違い競技化されていません。
従いは型からその実用となる技を身につけて行かなければなりません。
その稽古法の意義が、取材されて記事となりました。
技を身に付ける方法として「し繰り返す」大事さが見出しになりました。
私は小さな塗装工場を営んでいますが、価値として技術・技能が商売のネタ、職人はうるさく言って、「し繰り返す」の意義と、やり方「質の向上」に繋がる取り組みを日々の仕事で妥協なく指導しています。
それは合気道稽古から学び取ったものなのです。
今、会社のスタッフに合気道の弟子がいるので始業前の合気杖術、剣術を10数分程稽古しています。
誰でもが、「し繰り返す」ことでレベルアップ、上達、向上がするものなのです。
昔ながらの稽古を経験した者として、合気道が武術の立ち位置から離れ、遊芸化に進んでいる事が気にかかります。
何故そうなるかといえば「魅せる」方へ気が行き、武術の本質から離れていく傾向が見えます。
最近、YOUTUBEで観た合気道動画、投げるのに余分の動作をして見栄えに気をとられている様子が見て取れます。
これも時代の移ろいですか?
フィギヤスケート競技でもあるまいに!
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