当社のホームぺージに社長ブログを載せるようになって14年ほど経ちます。
最近、過去に書いたブログがベストテンにランキングされるケースが目立ちます。
川越市の片隅で発信しているのですが、私から見るとこんなブログに関心を示す人がいるのかと驚いています。
追記 例えば、「言霊と言えども『アオウエイ』であります。」というブログ2020年3月に掲載、最近までランク入りしていました。これに書かれている内容「古神道」の知識がないと見当が付きません。私の場合は、合気道の影響で知った内容ですが、インターネットの名の通り、日本、世界中に網が巡り張らされていると実感します。
昨日(6/18)のランキングを追っていくと、
10位にランキングされている「映画『浅草の肌』を観る」は2013年1月に書いたブログ、若い頃から京マチ子のファンでありCS放送で放映された映画を観ての感想を書いたもの、製作が1950年私が4歳の時の映画、今まで見ていた京マチ子の役柄とは全く違う印象の踊り子を演じていました。1週間で11ビューという事は11人が見ているのです。どんな人かと想像するとやはり京マチ子のファンなのでしょう。グラマラスな一面もあり印象に残りました。OSKの出身ダンスが出来て素敵な女優、「羅生門」が有名です。
9位には、「牛島辰熊・木村政彦 師弟関係」2013年4月に書いたブログ、1週間で11ビュー、これはかなり柔道界の歴史を知っている人が見ていると思います。
戦前の話になりますので。
両名ともに柔道界ではその人ありといわれ、木村政彦は15年不敗、13年連続日本一、天覧試合制覇で「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と謳われるほど柔道界では唯一無二の最強の柔道家です。柔道に詳しい人が見たのでしょう。
8位には、「昆虫採集―カブトムシ獲り―」2013年7月に書いたもの1週間で15ビュー、川越第二工場の近辺にある雑木林でカブトムシを獲った少年に声をかけて聞いたことを綴りました。夏が近づくとランキングされます。昆虫採集マニアが見るのでしょう。
7位には、「半旗を掲げる」2014年3月に掲載したもの、1週間で16ビュー国旗で弔意を示す儀礼と分かる人が周りに少なかったので書きました。
国旗への関心が薄いことを憂いて。
6位には、「聞き覚えがなかった言葉『パンデミック』*新型コロナウイルス*」2020年2月に掲載、1週間で20ビュー、コロナ禍騒動の真っ最中、関心を呼ぶのは分かります。
終息を願うばかりです。
5位は、「奄美民謡教室―東京奄美サンシン会―」2011年2月に私が通っている教室の案内のために書いたものですが、ここに来て常にランキングされています。1週間に23ビューとあり、南の外れにある島の民謡に関心が高いのに驚いています。
昔に比べ、本土でも知られるようになった奄美民謡歌手、元ちとせ、中(あたり)孝介らによって関心が高まったのでしょう!?
4位には、「勝負あり―猪熊功―」2013年4月に掲載、1週間で23ビュー、東京オリンピックで重量級で金メダルを取った柔道家、アントンヘーシンクと戦う試合が見たかったね。勝てたかもしれない。東海建設の経営に行き詰まり自殺してしまう。柔道界にとって大きな損失だね。
3位は、「クライン孝子女史から見えてきたこと」2010年12月に掲載していますが、アクセスが多く(1週間で24ビュー)10年前から継続的に時々ランクインするのです。彼女を知ったのは「西部邁の番組 戦後のタブーをけっとばせ」で、論客として出演していました。評論家である彼女自身が書いている「クライン孝子の日記」にこのブログがリンクされていました。何故分かったかといえば、WEB解析から彼女のブログからこのブログを読む方がいる事を知り、「いいね」も多く82を数えています。政治の時事的な話題があった時にアクセスが増えるのかと分析しています。著名な方に私のブログをリンクされたことは心弾むものがあります。
2位は、「映画『父子草』を観た、主演 渥美清 1967年製作」1週間で29ビュー2019年9月に掲載、このブログもランキングの常連で渥美清の人気の高さが伺えます。「男はつらいよ」がシリーズ化される前に製作されており、土方役を演じる渥美清を観ると彼に様々な役柄を演じてほしかったと思わせる役者です。
ストーリーも戦後日本の時代背景を舞台にしながら、貧しい苦学生を土方役の渥美清が経済的に援助して大学を卒業させる人情話、今では遠い昭和の風景を描いた名作と思います。
1位は、「一関西人に『贅六』の意味を聞いてみた」2018年7月に掲載、1週間で47ビューと多くの人にアクセスしてもらっているのですが、意外な感じを持っています。なぜなら日常的に知られている言葉と思っていたものですから。
その言葉を覚えたのは東映時代劇からでしたので小学生の頃と記憶しています。結構知られている言葉と思い当社川越第二工場の設備修理の際、関西の方が来たので「知っている」と聞いてみたら「知らない」と返事があり、その意味を教えたことが書く切っ掛けとなりました。時代が流れるにつれ古い言葉は段々と忘れさられていくことを実感したことを綴ったブログでした。
日常的にも私が口にする言葉を知らない人と出会うこともあり「ちと」寂しさ感じる経験です。
番外篇で6/18、2020年2月に掲載した「『建国記念の日』何故?『建国記念日』としないのか!?」にコメントが入った次の日
からランクが上昇6/20時点でランクが2位になっていました。3日間で35ビューとアクセスがあり驚いています。小さい頃戦前は「紀元節」と呼んでいたと教えられ、戦後になって「建国記念の日」となって復活しましたが、「建国記念日」としないことを考察した内容をブログにしたものです。
今の若い人には関心が無いように思えるのですが、見た方、アクセスした方々に思いを馳せると戦後に廃れてしまった行事を見直す思いがあってのことかと推測しています。
長きにわたり、ブログを綴っていますが、年齢を重ねていくと様々な事柄に今まで調べてきたこと、本で読んだことなどから、私なりの考えが浮かび徒然なるままに書いています。
「今、此処」の時代の様相が垣間見えて興味が湧き「社長ブログランキング」を見るのが楽しみになっています。
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