6/27付産経抄に麻生氏の「国民の民度が違う」発言に批評が載っていました。
日本が新型コロナウイルス感染症による死者(6/19現在969名)が欧米主要国に比べ極めて少ないことについて外国から尋ねられ答えた言葉。
確かに、自粛要請レベル措置でこの数字、客観的に見て成果が出ている。
また、5/27付の文春オンラインネット記事には、「『コロナ成功国のジャパンで、なぜ安倍政権は支持率急落?』海外政治学者が注目する”日本のナゾ”」の見出しになっていました。
他にも要因が挙げられますが、私はその点(ナゾ)の適切な回答になっていると思います。
しかし、
ネット記事でその発言に批判的な記事があり、テレビ番組でも否定的な意見があったり、同様に新聞にも批判記事が掲載されている事にも触れていました。
● 他の国をおとしめることになりかねない。「朝日」
● 波紋を広げかねない。「毎日」
この記事の反論として、産経抄は適正な記述ではないと、月刊誌「WiLL」8月号掲載在英国のジャーナリスト谷本真由美さんの記事を引用していました。
・・・「むしろ(麻生氏の発言に)同調する欧州人の方が多い」。谷本さんによると、自国民のルール違反にうんざりしている人や重症化リスクのある人らは「よく言ってくれた」と絶賛している。日本企業の雇用維持、全国民一律10万円給付には羨望のまなざしが向けられ、英国では健康的な日本食が注目を集めてる。・・・
すべての欧州人が言っているわけではないでしょうが、おそらく取材の中で多く耳にした言葉、見解なのでしょう。
なぜ、この様に国内、海外の記事に認識面でギャップが出てくるのか?
このケースで云えば、新聞社が海外の日本に向ける視点を把握せず、一方的な見方で記事にしているのではないでしょうか。
新聞社は海外特派員を置いているはずですが、ニュースソースを拾い上げていないのでは?
はたまた、あえて記事として取り上げないのか?
偏向しているのは間違いないように思えてきます。
「朝日」「毎日」の記事と「WiLL」の掲載記事とは真逆な内容になっています。
● 他の国をおとしめることになりかねない。と「朝日」は書いていますが、貶めるどころか「国民の民度が違う」に絶賛の言葉、欧州人、自国民にルール違反が多くありコロナ禍が収まらないと嘆いている。
このズレを記事を書いた人どう判断しているのか、自説が正しいと云い切るのか。
新聞の機能は「※社会の木鐸」と教わったものにとって納得できない面ですね。
※世の中を教導し、正す人。社会の指導者。多く、新聞記者を指していった。
● 波紋を広げかねない。「毎日」
波紋どころは、欧州の人達に気づき(覚醒)を促している。
取材の仕方、その内容はよって記者の判断に委ねられているのでしょうが、その記事を読者に賛否の意見があることも一文添えるほうが公平な報道ではないかと考えます。
そうでないと見方、考え方に偏向が起きてしまいます。
テレビ、新聞の報道など、受け手側はそれを見越して読む様にしないといけないのでしょう。
子供の頃は新聞記者になるには、学識、見識を必要とされる職業で難しい仕事と思っていたが、そうではなさそうだ。
今、はやりの作業マニュアルではないが、マニュアル通りやれば誰でもやれそうに思えてきます。
私は、麻生大臣が「国民の民度が違う」との発言には納得いく面があるのです。
日本の場合、日本人には「ムラ社会」の意識が根付いており、生活の中で「他人に迷惑を掛けない」様にと心がける思いが、感染拡大を防いでいるのだと思われます。
こんな意識は、農耕社会が長く続いた地域社会に共同意識が芽生え、共生していく上でとても大切な心構えとなったのでしょう。
考えてみれば何世代も同じ地域で生活を共にし行く中、「いざこざ」は避けたいものどうしたら避けられるかと長い間に育まれた心性と思われます。
地域社会で規律を乱す者がいれば、「村八分」の掟が必要であり、それが地域社会の安定にも繋がっていたのでしょう。
その結実として、村々に五穀豊穣、子孫繁栄の祈願と感謝の表現でお祭り行事が生まれたと思います。
「村八分」という言葉、子供の頃「悪習」と教わった記憶があります。
しかし、視点を変えれば当時の地域社会をまとめていくには必要な事と年を経るとともに思うようになりました。
どんな集団でも規律を守らせる罰則は必要なものです。
欧州とは違う歴史を歩んでいる日本に生まれた心性、「個」より「和合」大切にする思いはそんな歴史性に観ることが出来ると思います。
森川さん、コメント有難う御座います。
巷間言われるように、海外ではコロナ対策の状況に驚嘆しているようですね。
私などは、ブログに書いたように、農耕社会で培われた共同体意識があり、それが良い方に作用した結果と思います。
いつまで続くか分かりませんが、アメリカと比べれば「何を騒いでいるか」という事なのでしょう!