已(や)むことを得えざる之を誠と謂う

私、読書方法の一つとして積読を実践し、関心が向いた本、見つけた際になるべく買って置くようにして居ます。
そうでないと、後で見つけるのが大変になる場合があるのでそのようにしています。
この本もそうでした。
今では、ネットからも探せますが「題名」を忘れると入手が困難になるからです。
書棚にしまって置けばいつでも目にすることが出来ます。

表題の言葉、書棚から出した本をめくり目に付いた言葉、
人、それぞれ生きていく中で自身を見直す作業があると思いますが、そんな気分になっている時に惹かれる言葉があるものです。
この言葉、山鹿素行が「聖教要録」に記した言葉、山鹿素行遺稿「中朝事実」を読んでいるのでどんな意味なのかと意訳に関心が向きました。

次のように書かれていました。
「『どうしようもない』この言葉こそ、この世のごまかしのない真実である。自然の摂理の中では動植物ですら、どうにもならないことがある。ましてや人間には、自然の摂理にプラスして浮世の柵(しがらみ)が交差し、この世の「『どうしようもないこと』ばかりに満ちている。思う通りいかない、仕方がない、やむを得ない、どうしようもない、そんなことがあるのが当たり前だ。時には、どうにもならないこともある。あるがままに受け入れることも必要だ。やむを得ないことで自分や他人を責め、誰かのせいにしても、どうにもならないものはならない。また、諦めることで考えつくことや、諦めたからできることもある。」

「已むことを得ざる之を誠と謂う」の意訳は「『どうしようもない』この言葉こそ、この世のごまかしのない真実である」としていますね。
人、生きて行く上でままならぬことばかりとも言えます。
その時にどのように対処するかという心得、心術を教えているのでしょう。
しかし、仕方がない、どうしようもない事柄をそのままにしておけないから悩むのが人間、でも自分でコントロールできる事柄も少ないことも事実、その狭間でどうすればいいか。
記述に「あるがままに受け入れる」と書いています。
「諦めることで考え付く」とも言っています。
これ執着心を捨てて見直せとも教えているように思えるのです。
執着していると、煩悩が起きて正しく判断ができないことがあります。
誰しもが人生を歩んでいる中で、障害、困難など煩わしいことと向き合っていますが「この世のごまかしのない真実」と言っている言葉の中に、それに気づいて生きなさいとでも言っているのでしょうか?

私、この記述から「どうしようもない」ことに対して、焦るなとも理解したのです。
事柄によってはよい方向へと向かせるには時間がかかることもあるからと!
私の今の心境ではそのように感じ取れました。

ネットから調べると、
「熟語の意味から考えれば、この場合の「已む」は、「そうしないですむ」という意味です。第六版には、この意味も記しました。つまり、「已むを得ず」は、「そうしないですむ、ということがかなわないで=しかたなく」ということです。「そうしないですむ」という意味のときに「已む」を書くことを示した日本語辞書は、あまりないと思います。」

このよう判断、日常生活の中で結構多く行われているような気がします。

因みに手元にある「中朝事実」
乃木希典が先々帝昭和天皇陛下に、自刃前にお読みになるようにと薦められた本です。
内容は「皇統」が書かれたもの。

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