8月15日、自分の人生の中で77回の終戦記念日を迎えるわけですが、その日の記憶が鮮明の残っているのが、小学校4年か5年生の時、母方の祖母が住んでいた雑司ヶ谷の墓地近辺にあった借家の家の前で聞いたラジオ放送です。
敗戦間もない頃まだ10年程経った頃でした。
ギラギラと太陽が照り付けていて暑さを感じていました。
母と一緒に祖母を尋ねたのだでしょう。
深く記憶に残っています。
その年頃で、大東亜戦争を断片的に知り得た知識と言えば映画からでした。
子供心に素晴らしい性能を有する戦艦大和・武蔵、戦闘機零戦、隼などの知識にありました。
はっきりと記憶に残っているのが、「ひめゆりの塔」「雲流る果てに」を観た事。
映画「ひめゆりの塔」は飯田橋駅ガード下にあった不動産屋でテレビ放送で観ました。
女高生役が香川京子、先生役が確か津島恵子です。
「雲流るる果てに」では主演が鶴田浩二、特攻隊員が乗る飛行機が体当たりする戦況を無線で確認するのですが、不明のまま「ツーツー」と無線が切れるのです、撃墜されたか敵艦体当たりが成功したかどちらかなのでしょう?、子供心に何と勇敢な特攻隊員と感じ入ったものです。
当時は家々でテレビを見せてと尋ねると家に入れて見せてくれたものです。
昭和28年テレビ放送が始まって間もない頃でした。
今思えば、都心部の「千代田区飯田町」流行りの先端をいっていたのでしょう。テレビがある家々が多かったようです。
子供心にそんな知識から、戦争に負けた事に悔しさを感じていました。
このようなブログを書く時、思い出す言葉があります。
幼い頃、占領下?にあった頃だと思いますが、ある大人から聞いた、「坊や!マッカーサーは日本人の団結心と勇気をおそれて占領政策で弱くしようとしている」との言葉でした。
近所には靖国神社あり、通学路で通るのです。
そこには、日清日露戦争で勝利した強い日本が大燈籠のレリーフに刻まれていました。
日本海海戦、東郷平八郎大将その左に参謀秋山真之、大灯籠のレリーフの一部です。
こんな少年期を過ごした私、段々と年を重ねるにつれて日本を悪者扱いした東京裁判にも疑問を持つようになっていました。
前述の「ある大人」の言葉の影響から自分なりに戦前戦後の日本の違いを調べる気になったのです。
「喧嘩両成敗」、勝ち負けはあっても良し悪しはないものと思っていましたから。
40代後半になった頃、銀行支店長が呉れた本、
この本を読むと単なる復讐劇にすぎず、法的根拠は全くないとパール博士が言い切っていました。
これが切っ掛けで、占領政策はどのような意図で行われたのかとそれに関する様々な本を購入しました。
小学校の恩師、「修身教育の廃止はマッカーサーが大和魂を貶めるため」の言葉です。社会人となってクラス会に出るたび色々と質問していた事の回答の一つでした。
占領直後の様子、どう見るかと様々な視点がるようです。
毎年8月15日になるとお題目のように「戦争は悪」と皮相的な面での反省と繰り返し78年が経っています。
東京裁判史観でなく、日本人、日本国して先の大東亜戦争について歴史を総括をして違う視点で方向転換しないと牙をむいている国もあり、
「祈るだけは国を守れない」ことだけははっきりとしているのです。
コメントを残す