今日、散歩に出ると団地の道路わきで軽トラで砥ぎ屋している行商に出会いました。興味もあり親父さんに声を掛けいろいろとお話を伺うことに。毎月第4日曜日にこの場所で仕事をとっているとか。 まずに最初に口にしたのは日本刀はやらないと言っていました。以前無届の日本刀を頼まれ断った事、軽トラの荷台では狭いこともあるのでと説明がありました。
親父さんに許可をもらい撮影。 元大工さん、60代私と同世代、会話の話題も共通した事がも多く話は弾みました。 この様な団地に出向いて商いをしているようですが、100戸に一戸当たりのお客さんがあればいい方だとか。この団地の住人は料理好きの方が多いのではと感想を述べていました。ポストにチラシを配ったりしたが嫌がられるのでやめたとも言っていました。この日、立ち話の最中に3人ほどのお客さんが包丁をもって頼みに来ていました。結構お客さんが来るではないですかと聞くとこの団地は多い方ですと話していました。中には、作ったケーキを差し入れてくれるお客さんもいて常連さんがいる様です。
話を済ませ家に戻り、研ぎに出してみようと包丁をもって再び出向きお願いしました。12時頃取りに来てくれと言うのでその時刻になり取りに行きました。 お客さんと話をしている最中、先ほども言いましたがどうやら常連さんのようです。「しっかり稼ぎなさい」と声を掛けていました。
剪定ばさみを注文する人も。
切れ味を試すために柔らかい葉を切って見せて切れ具合の説明。
刃の状態を親指で確かめ、「めくれ」と言う状態を無くしていくのが研ぎの作業、実際研いだ包丁に触れさせて教えてくれました。
昔、飯田町に住んでいた頃、行商があった話をすると、「らうや」キセルの掃除やさん、金魚売、飴屋などを知っており、どじょう売りは知らなかったと言って会話が弾みます。
大工仕事はもうやめてやらないそうですが、今は建築工法も変わり出番がないとも話していました。
研ぎ作業は、荒らしこで#150、中しこで#800、上げしこで#1000~3000の砥石を用いる様です。
砥石は天然ものでなく、今は人工のものを使用しているようです。
天然ものは高くて使えないとも話していました。
この商い、小遣い稼ぎ程度でやっている様です。
お客さんとの出会いが楽しいと。
気楽に商いを楽しんでいる様子は羨ましい面を感じました。
研いでもらった包丁を受け取り「またね」と告げて別れました。
行商は商いの原点ですが、無くなりましたね。
追記
職人衆昔ばなしに登場する大工(でぇーく)味方寅吉こと、大寅さんの道具ばなしの一端に出ていた砥石の話。明治33年生まれ。生きていれば115歳だ~19世紀の最後の年に生まれた。
砥石談義
「・・・砥石っていやァ砥石に凝った。四寸ガンナをとぐ梨地の砥石なんてものは、さっきも言った通り、手間八十銭の時に5円もしたもんだから大したもんだ。名前の通り梨の肌のような色あいをしているんだが、その渋ゥい感じがまたこたえられない。そして「京都鳴滝産正本山合砥」と書いた商標が張ってあるんだが、こいつが自慢なんだね。「ホ、あいつ、正本山を梨地をもってやがら!」って言われるのがうれしくてね。砥石じゃこれが最高で、よっぽどの腕のよい職人か年寄りでもなくちゃ持てなかったもんだ。砥石を見りゃ道具の見当がつく——-、道具も駄目なりゃ腕も駄目——-、これが当時の職人の見分け方で、まったくその通りだった。だからクドイ砥石だの、浅黄の砥石しか持ってないやつは安く踏まれたもんだね。・・・・」
職人衆昔話より、
道具を見れば腕が分かる、今も変わりませんね。
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