夕べ、CS放送番組「大岡越前・辞世に託した三千両」を観ていた時の事、物語は真面目な船大工が江戸に上り、そのままぐれて盗賊になり残された母と子の関わりを描いた作品でした。端折りますが、追われた盗賊が行く末を不安に思い最後の別れと女房、子供に別れを告げに来た時の事、隠れていたのですが女房に気とられ、手傷を負っていることもばれどうしたのと聞かれ、追っ手をくらますために遠くへ逃げると告げるのでした。子供の顔を見たいのですが追っ手も迫り、ここで別れた後つかまり御用となります。
大岡越前捕まえたのはいいのですが。御用金三千両の在処を割りません。職務上越前は上の者から責められますが一計を案じて処刑の許可をもらい、盗賊に因果を含めます。在処は白状しなくてよいが、処刑される際、臆病にふるまい泣きわめいて処刑されて欲しい、盗賊が世間で褒めそやされているままでは子供たちのためにもよくない、だからと越前が懇願するのですがことわります。
御用金三千両の在処も白状しません。
越前、責めたてもせず最後の願いを聞いてやるがと誘いつつ、そのままでは死ぬのは見苦しかろうと月代をそり整えてはとすすめます。盗賊も納得し、その申し出をお受けます。
これには越前の心憎い配慮があり、髪結いの女房と子供を引き合わせて彼の心を揺さぶります。
連れられてきた子供、叔父ちゃん俺の父さんだろと何度も問い詰めますがとぼけます。
何とか盗んだ金を渡したい一心で俺は金を持っている、多く髪結い代を払おうとするが32文で結構、盗んだ金は一切いらないと女房に拒否され盗賊はある決心を持ったまま処刑の日を迎えます。
当日、母子共々処刑場に、盗賊辞世に託し三千両の在処を告げ、越前の望み通り命乞いをしながら処刑されます。
越前、その行動を観て頷き、心で感謝、英雄として世間でもてはやされていた盗賊の死にざまを観て見物人はがっかりします。
それが越前の狙いでした。
下線で引いた記述部分がジェームズ・ギャグニ―を思い出させたのです。
確か、ギャングでありながら子供たちには英雄の存在と映るギャング、しかし子供たちにはよくないこと、彼を昔から知っていた神父は処刑される際臆病に振る舞ってと頼みます。返事をせず電気椅子処刑場へ、そして神父の願い通り臆病なギャングとして死んで行くのでした。
大岡越前の番組、情景が全く同じなのでパクッたかなと思ったのですが、感動的な場面でした。
男としての誇りを捨て、頼まれた通り臆病に振る舞う男気に感動!!
ジェームス・ギャグニ―のどんな映画だったかと調べると出てきました。
それがこの映画「汚れた顔の天使」です。
その場面を記述します。
「・・・そして、電気椅子の前で殺さないでくれと見苦しく泣きもがくロッキー。彼はジェリーの頼みを聞いたのだった。このロッキーの見苦しい暴れる姿をシルエット越しに演出するセンスはさすがである。・・・ロッキーの死を知った6人のキッズ達は神父に尋ねる「神父様、教えてください。ロッキーの死に様は?臆病でしたか?・・・」
テレビでこの映画を見ているのですが、高校の時なのかな、しかし幼馴染である神父の頼みを聞いて電気椅子で臆病に振る舞った場面は印象に残ったのでしょう。
越前の番組を観てそれを思い出したのです。
ギャングだけど男だった。
格好いい!!
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