インターネット記事で台風8号の気象情報を報じていた。
朝のニュースでも猛烈なと言う形容で今回の異常気象を扱っていた。
風速70メートル、新幹線時速270㌔の屋根の上に立って感じる風圧らしい。
気候変化で台風も大型化して災害が大きくなるようだ。
「・・・大型で非常に強い台風8号は、沖縄本島地方と宮古島地方を暴風域に巻き込みながら北上し、沖縄県では猛烈な風が吹いています。
気象庁は新たに沖縄本島の南部と中部に大雨の特別警報を発表し、暴風や高潮、高波、それに大雨に最大級の警戒と安全の確保を呼びかけています。
気象庁の発表によりますと、大型で非常に強い台風8号は、午後2時には沖縄県の久米島の西100キロの海上を1時間に30キロの速さで北へ進んでいるとみられます。
中心の気圧は935ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50メートル、最大瞬間風速は70メートルで、中心の東側280キロ以内と西側220キロ以内では、風速25メートル以上の暴風が吹いています。・・・」
昨今、ゲリラ豪雨、1時間の降雨量100ミリの雨とか気候の凄まじさが報じられるが、温帯地方と言われた時代を過ぎ日本は亜熱帯地方の雨の降り方の変わったようだ。五月雨、時雨、小ぬか雨、夕立、通り雨などなど情緒を感じさせる雨が無くなり、本当に日本の気候は変わりました。
台風と言えば最初に経験した台風、それはキャサリン台風かな!?生まれたばかりで記憶がないが親父が体験談を話して呉れた。
「カスリーン台風(-たいふう、昭和22年台風第9号、国際名:カスリーン〔Kathleen〕)は1947年9月に発生し、関東地方や東北地方に大きな災害をもたらした台風のこと。カスリン台風や、キャサリン台風などとも呼ばれる。台風本体の勢力の割には降水量が多い雨台風の典型例とされている。
当時、日本はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年から1953年5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていた(日本ではこの他にキティ台風、ジェーン台風などが有名)。カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」であるので、Aから数えると11番目となる。
なお、この11個の中には、アメリカ軍が英名を付けたにもかかわらず日本が台風と解析しなかった熱帯低気圧5個が含まれている。一方、カスリーン台風の前には、日本が台風と解析したにもかかわらずアメリカ軍が英名を付けなかった台風が3つ存在する。よって、カスリーン台風を日本の台風番号で表すと、11-5+3で9号となる。」
このキャサリン台風、両親は草加・幸手町に疎開しておりその災害に遭遇、利根川が氾濫し堤防が決壊、親父はその様子を次のように話した。
「どぶ臭い臭いがしたと思ったらたちまち洪水になり2階まで浸水し、ある人が木に登って逃れていたと・・・」
私が1歳の時ですので記憶にはないですが、台風災害にあった最初の台風なので今でも覚えているのです。
次に記憶があるのが、洞爺丸の沈没を起こした台風、昭和29年、今回の8号も日本縦断する可能性があるが、その時も北海道へとコースをとり沈没事故が起きた。
1000人以上の人が亡くなり、その遺体は海辺に並んでいる光景を日本ニュースで観た記憶がある。
当時、ニュースは日本ニュースとして映画館で放映されていた。
後に洞爺丸沈没事故は映画化されている。
洞爺丸が転覆した原因が、青函連絡船なので列車が積まれていたが固定した物がはずれ動いたために転覆したと映画で描いていたような気がする。
最近、韓国船が沈没した原因に荷くづれがあったと伝えていたが荷を固定して積んでいないと沈没の原因にもなるね!
この台風8号はどんな進路をとるか、勢力が落ちてほしいものだ。
こんな大型台風が発生するようになるほど気象が大きく変わったということだ。!!
インターネットは凄い、映画「あゝ洞爺丸」の主演俳優・宇佐美淳と調べると、写真が見つかった。
懐かしいお顔だ!船長役をしていた。子供の記憶確かなものだ!
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