営業帰りの車中、ニッポン放送の「青山繁晴・ザ・ボイス そこまで言うか」を聞いて居ました。
話題に上ったのがフィンランドの話、政局としてロシアはEU加盟のウクライナよりフィンランドに目が向いているとか、先の大戦では日本同様敗戦国になり、日本同様戦争犯罪の裁判を行われたがそれを自国で行い、ロシアからの介入を防いだといっていました。
翻って日本、敗戦を経験したことがなかった為に戦勝国に報復的裁判を許してしまったとの解説がありました。
またとても親日国家でもあるそうです。
それは日本がロシアを負かしたことが大きく影響しているのだとか、昔フィンランドはロシアの支配を受けて独立できず日露戦争で独立を果たしたと解説にありました。
東南アジア、インド、ビルマ、インドネシアと日本に勇気づけられた国々がある様に北欧にもそんな影響を与えた日本、社会科の歴史で教えるに値する内容ですが、教育で貶められている日本、国民自身が気付かなければいけませんね。
そんな日本は戦後貶められていることに気付かず、国家の主権を守る事すら忘れさせられていることに気付かなければいけません。
現政府、集団的自衛権の行使すらコンセンサスが取れない異常な国と国民が思えないのが異常なのに気づいていないのが恐ろしい。
国際的常識が通用しないニッポン、政治家で本気でこの問題に取り組める人材がいないのが悲しい。
国家として主権・主体性を持ちうる教育がなければいけません。
フィンランド、スイス同様国民皆兵だそうです。
何故、国民にそのコンセンサスが取れるのか日本人にはその点の教育・教導が絶対必要、そんな国になって困る連中がいるために混乱を招いているのではないでしょうか?。
日本として国体がどうあるべきか、三島由紀夫の檄文から汲みとってみよう。
アメリカでいえばジェファーソンの言葉と匹敵するくらい国の大本を書いている。
因みにアメリカの建国の精神は、「生命・自由・幸福の追求」となり、簡単に言えばアメリカンドリーム、そして銃で生命・自由を守る事かな!?
「・・・われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。・・・・中略・・・・日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。・・・・」
国の大本、日本の歴史、伝統、精神文化、皇室だと読み取れる。
記紀、神道などを学べば自ずとそこへ帰着すると思います。
だからこそ、檄文にもある様に言葉を換えればただ単なるエコノミックアニマルに成り下がった日本人を憂いているのではないでしょうか。
三島は命よりも大事な価値を日本の伝統・文化に見出し死をもって訴えたのが昭和45年11月25日でした。
国を守る国軍の本義は「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」にありと叫び、だからこそ自衛隊という汚名を晴らせと言ったのでしょう。
私自身、記紀・神道など少なからずも勉強していくとそこに日本の大本を見る気がします。
国防、強い国軍こそが平和を保つ基本(※注 強いから手が出せないという簡単な理屈です)、戦後の教育を受けて、全うな国家観を持てないまま成長した連中は、集団的自衛権が戦争を起こすと短絡的に騒ぐセンチな輩、論理的な思考をもってすれば当然の事なのに。
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