休みの日、地上波テレビの番組が面白くなく他チャンネルで番組探し。
日本映画専門チャンネルでやっていました。
時刻的にうまく噛み合って始めの方からでした。
この映画、当時(1955年)二木てるみの子役の名演技が評判になった映画。
二木てるみ、後に黒澤監督「赤ひげ」で、気の狂った若い女性に扮し迫真の演技を観せています。
この頃私は小4です。
通学路で映画のポスターを目にしたことがあります。
当時のお巡りさん、色々と住民の面倒を看ていたことが描かれています。
そのもっとも印象的な描写が捨子の面倒を看ることです。
森繁久彌演じる人情家の吉井巡査、ある日姉ユキコ6才(二木てるみ)と弟赤ちゃんシゲルの捨子を見つけますが預けるところがなく、
町一番裕福な料亭にシゲルを預け、ユキコは自分の家に連れていきます。
旅館の内儀、人情家の巡査の頼みとあって断れません。
吉井巡査は子供が5人、一人位増えても同じ事と言いつつ女房も納得。
子供たちも当たり前のようにそれを受け入れます。
この描写から当時の世相、また人情が浮かび上がってきます。
ロケ先は確か福島の横宮(実際は磐梯熱海町)と言う所、駅の名前が出ていました。
当時はどこでもこんなことがあったと思います。
今で言う赤ちゃんポストもなく、生活苦から仕方なく子を手放した母親、こんな可愛い子を捨てるなんて悪い親というセリフがありましたが、
なんとなく当時の世相を知る私としては同情が湧いていました。
ユキコ、巡査の家で面倒を見てもらうのですが、シゲルが気になって仕方ありません。
意を決し一人で暗い夜道をとぼとぼと旅館へむかいます。
居なくなったことに気づいた吉井巡査慌てて探しに。
その頃、ユキコは料亭に辿り着き玄関から中の様子を伺います。
それを料亭の内儀ヒデ扮する沢村貞子が見つけ、弟に会いに来たのかと会わせます。
シゲルを見たユキコ、泣き喚いてシゲルに抱きつき、内儀ヒデはそんなユキコを愛おしく見つめるのでした。
その直後、吉井巡査が来ていきさつ聞き、姉弟二人を預けることになりました。
そうこうしていると警察署に子供を捨てたと名乗る母親が訪ねてきます。
吉井巡査が面談して話を聞き、子供に会わせようと連れ立って旅館に行くのですが、近くに来ると母親が会いたくないと言い出すのです。
吉井巡査、相談しようとその場を離れることに。
相談に乗ると母親、自分一人では二人を養う力がない、あの料亭の人が引き取ってくれるならそのほうがいいと言うのです。
そうかと納得します。
母親には都会に出て働くようにと勧め、内儀も親がいないというからその気になって可愛がっているので会わない方がよいと諭し、
影からその二人を見られるように計らいます。
その場面には泣けました。
方法はこうです。
藪田巡査扮する※宍戸錠にジープを用意させ、後ろの席に座らせ、運転は藪田巡査がすることに。
※ 宍戸錠のデビュー作、頬を膨らませる整形手術を受けるのは高校球児を演じた時にと記憶しています。
吉井巡査、旅館に出向き事情は説明せず、玄関に子供を連れてくるようにといいます。
シゲルを抱きながらジープが来るよとあやしながらジープを見るように仕向けているところへ母親が乗るジープが前を通ります。
ジープだよーと二人に言いつつ、また来るよと言うのです。
母親窓越しにかくれながら見届けます。
藪田巡査、角を曲がり即Uターンして再び子供の前を走ります。
二人とも綺麗なおべべを着せてもらっています。
母親にしっかり見届けられるようにとの配慮です。
人情あふれる場面になっています。
母親、もういいかと巡査に促されて覚悟して、ジープは走り去っていきます。
胸打つ場面でした
当時の日本人が上手に描かれて、貧しいに中にも人情味あふれ助け合って生きていたことがよく分かりました。
私も人情と助け合いの心に触れた経験があります。
オヤジが商売につまずき、住む場所がなくなり一時親戚の家に兄弟で預けられた事がありました。
この映画「警察日記」1955年制作、当時の世相を表す事件がたくさん出てきます。
人身売買、万引き、無銭飲食、物乞い等。
人身売買の斡旋料が3000円、5000円とありましたが女工の斡旋なのでしょうが、貧しい人にはある意味で助けられているようでした。
無銭飲食した親子が捕まります。
調べると母親はお茶を飲んだだけ、坊やだけにカレーライスを食べさせていたのです 。
他にラムネも。
署長、母親の心情を知ると「坊主、美味しかったか」と声をかけて安心させます。
こんな場面も思いやりと人情がありいい気持ちになりました。
いろいろな事件が展開しながら物語が作られていましたが、ほのぼのとさせられる映画でした。
また、出演している俳優が後々映画で何度も見る俳優ばかりです。
この頃、地域社会では学校の先生、お巡りさんが軸となって機能していたようですね。
懐かしさ一杯の映画、年をとった分「懐古」をつくづく感じました。
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