インドネシア独立のため戦った日本兵についてブログで紹介しましたが、ビルマ兵とビルマ独立ために戦った一日本兵の経験談を紹介します。
この方を知ったのは、先輩が中心となって合気道を通して民間レベルでミャンマーと交流をしている団体でした。
現在はミャンマーの国名ですが以前はビルマでした。
私がビルマの名を知ったのは映画「ビルマの竪琴」だったと思います。
主演が安井昌二、昭和30年代日活で制作。
その方の経験談を聞く講演会に参加した際、資料がないかと入手したのが昭和61年4月号「アジア時報」と言う雑誌でした。
毎年その団体の新年会で使われる言葉に「ビルきち」という言葉、ミャンマーの訪れた日本人がそのお国柄、民族性に惹かれファンになってしまうことをそう呼ぶそうです。
「ビルマ気狂い」が詰まって「ビルきち」。
その雑誌によれば各界の有名人が名を連ねています。
私、最近ですが、何度かミャンマーの青年と会う機会がありましたが温和な人柄が印象に残っています。
合気道を学ぶために団体の援助を受けて日本に来たのです。
そんな付き合いから感じること、真摯に学ぶ姿勢からもお国柄を想像できます。
その雑誌にその方が寄稿された「ビルマ有情」で、ビルきちとなる理由をこう書いています。
「・・・ビルマ人と日本人とは、風貌はもとより、正邪判断の道徳的基準においても、発想のあり方においても、世界中のどの国よりも似通った点が多い。最も悲惨な戦場の一つに数えられたビルマから、命からがら帰還した将兵三十余万の大多数が、今尚ビルマの山河を懐かしみ、ビルマ人の良さを讃え、報恩の念を口にしていることは、他の戦場には類をみない特異且つ不思議な現象とも言い得る事実である。
ビルマを気狂いのように愛する人達を、仲間内で「ビルきち」と称している。・・・」
その団体で毎年行われる新年会には大使はじめ大使館員も参加して国レベルの交流もあります。
今、ミャンマーでは民主化と大騒ぎですが、独立を果たし戦後は独立戦争で戦い抜いた人々が国作りしたのです。
民主化の中心にいるアウンサン(オンサンとも発音)・スーチー女史、その頃植民地支配国イギリスで教育を受けていました。
独立の戦いで命を的に戦った人たちからはどう思われているでしょうか。
その寄稿には下記のように書かれていました。
「・・・私は昭和16年12月の開戦直後、ビルマ独立義勇軍の大尉として、ビルマ兵を指揮してラングーン攻略戦に参加した。
ビルマ独立義勇軍は、現ビルマ国防軍の母胎となった。戦前英国植民地官憲の執拗な追求の眼を掠めて、日本へ劇的な脱出に成功し軍事教育訓練を受け、ビルマ独立の中核となった青年志士三十勇士(ビルマ語で、イエボウ・トンジエとの尊称を奉られ、今も国民敬仰の的になっている)の殆どが、ビルマ近代史を飾る目覚しい活躍をしている。現ビルマ最大の権力者ネウイン将軍(与党総裁・前大統領)は当時日本名で高杉晋と呼んでいた戦友である。今も国父と崇められオンサン廟に祀られているオンサン将軍(独立前夜に暗殺)は、当時面田さんと気軽に呼んでいた面田紋次少将である。ビルマが独立して以来ビルマを訪れる外国貴賓、使節団の公式日程はオンサン廟に献花礼拝する行事から始まる慣例になっている。・・・」
インドネシア同様、日本が軍事訓練を指導し独立のため戦える集団を構築していたのですね。
当時日本はアジア人として「植民地支配からの解放」を標榜したことよく理解できます。
終わりに寄稿文の文末を紹介します。
「・・・遥か天竺の彼方、人跡まれなるインドの山野にも、ビルマの密林渓谷にも、征って還らぬ日本軍将兵数万の遺骨が、淋しく眠っている悲惨な物語を、歴史の事実として忘れずに語り伝えていただきたいものである。」
「 ビルマの竪琴」で安井昌二演じる水島上等兵が、一緒に日本へ帰ろうと戦友の呼びかけを振り切ってビルマの残ったのも、
放置されている日本兵の遺体を見過ごすことができなかったのです。
>歴史の事実として忘れずに語り伝えていただきたいものである。
その通りと思います。
参考資料
有楽町の角川シネマで8月18日映画「アウンサン・スーチー」を18歳孫と観ました。
スーチーとその英国人の夫や友人が如何に民主化に協力して来たかを映画は克明に
語っています。わずかに日本のアジアの友邦としての役割も写りますが、曖昧です。
戦時中にオンサン将軍の名前は小学生だった私も知っていましたが、アウンサンと
同一人物とは知りませんでした。しかしアウンサン達の対英国ビルマ独立運動を私
たち日本人先輩が戦争前、戦時中より支援した詳しい話は読んでいました。
映画の観客の大半は若者で、日本がビルマ独立に果たした役割も知って欲しいと思う
こと切でした。
しろき様
初めまして!
コメント有難うございます。
小生のブログが少しはお役に立ったようで嬉しく思います。
お孫さんが18歳、ご一緒に映画鑑賞とは素敵ですね。
魅力あるおじいさんと推察いたします。
大東亜戦争で、アジア独立のために戦った日本兵の存在は、
小生テレビから知りました。
昭和40年頃と記憶にあります。
学校教育の歴史では教えていません。
観客の大半が若者だったとの事、それが切っ掛けとなり詳しく知ってもらいたいものです。
小生、歴史には多少の関心もあり戦前、戦後の日本の有様に興味を持っています。
歴史に埋もれさせてはいけない史実と思っています。
そんなわけで、このブログを書かせていただきました。
小生、昭和21年の戦後生まれ、小生より一回り上ですね。
先輩として、またお話をお聞かせ頂ければ幸いです。