奄美民謡教室の場所の変更のため、月2回ご厄介になることになりました。
ブログ「都電の思い出」で触れたように、小4の時1年半通学に乗った都電です。
私にとってはとても懐かしい乗り物。
志村橋から九段上の間毎日のように乗りました。
朝方は、いつも満員になったと記憶しています。
これから約半年、大塚から鬼子母神まで乗る機会があり、楽しみな思いが湧いてきます。
当時は、通勤、通学、生活の移動手段に使われ東京全域に亘って路面電車が活躍していましたが、
自動車の普及とともに徐々に廃止に追い込まれ今では荒川線が残るのみとなりました。
乗車してみれば分かるのですが、路面に線路が作られたわけでなく、
軌道が道路と併用されておらず専用になっていたため残ったようです。
さぁーいよいよ乗車、今ではワンマンで運転手1人扉も自動、当時車掌さんと2人で扉の開閉は手動、停止は「チン」発車は「チンチン」と鉦を鳴らしての合図でした.
「チンチン」と鳴らす装置がこれです。
懐かしい響きです。
昔は、紐がつながれて、つるされた紐を引くことで鳴らしていました。
スタイルもすっかり変わって、運転席前より狭くなっています。 でも装置、基本的には当時と変わっていません。
コントローラー、圧縮式ブレーキ。
運転手がこれを使って運転する様子を見るのが楽しく、いつも運転席のそばに乗りました。
満員になると、運転席の仕切りの鉄棒に胸を圧迫されて苦しい思いをしましたが、ある時、運転手さんが見かねて運転席に入れてくれたことがあります。
規則違反なのでしょうが、
嬉しかったなー。
目的地鬼子母神に到着。 駅前のビル、確か昔はお蕎麦やさんがあった場所。
飯田町にいた頃、おばあちゃんが雑司が谷にいて鬼子母神に何度も来たことがあり、唯一見覚えのある場所です。
ここから、数分で稽古場、雑司が谷地域創造文化館があります。
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