テレビ報道などで、地震被害のニュースが毎日流れています。
地震を感じた直後川越でも、震度5弱の揺れ。
それが翌朝、被災地の惨状を見るにつけ想像を遥かに超えた地震と判ってきます。
その日3月11日、午後3時頃、工場で、営業マンと2人で電話転送の手続き行っている最中、僅かなゆれ感じ、様子を見ていると収まる気配なし。
外を出て電線の揺れみていると、さらに揺れが増してきました。
向かい側の倉庫の中から、揺れで荷物が軋む音が聞こえてきて、中から従業員が出てきます。
隣の工場にいる人も数人が外に。
営業マンと外で揺れの大きさに驚きながら、顔を見合わせて、
こんな揺れははじめてだと!、おさまりを感じながら事務所にもどりテレビをつけて地震情報を聞いていると、
その間余震も起きてきて、又外へ、やはり他の工場の人も同様でした。
三陸沖で発生とあり、各地の被害情報を中継、テレビでは黒煙が昇る様子を捉えていました。
津波情報は太平洋側全域がその対象になっていました。
本社に電話を入れ状況を聞くが、被害は無しでしたが、乾燥炉は止めて作業中断、従業員には早退して帰宅するように指示。
自宅にも電話を入れて状況を確認、棚から本が数冊落ちた程度でした。
川越第二工場の乾燥炉、稼動はしていませんでしたが、地震センサーが感知してブザーが鳴りました。
本社工場の様子も気になりましたが、留まってもう少し様子を見ることに。
午後4時過ぎ、落ち着いたと判断して本工場へ。
数人の従業員がテレビで地震情報を見ていました。
工場内を見回って、実害が無かったことでほっとしました。
そんな状況下、テレビで被害は翌朝にならなければ正確にわからないと報じていましたが、
次の日、刻々と被害状況が報道されます。
津波の被害、東北、関東地方海岸部全域にわたり甚大なもの、その凄まじさに驚きです。
その時点では、発表がマグニチュード8.8、それが9.0と修正され国内観測史上の地震と判明します。
関東大震災7.9、阪神淡路大震災7.3、スマトラ沖地震が9.0、いかに大きな地震だったかと再認識。
ニュージーランドでも地震があったばかり、邦人犠牲者の状況把握をしているところ。
スマトラ沖地震で、数十万の犠牲者がでていました。
当初、犠牲者の数、それほどではなくどうなるのかと気にかけていましたが、日が経つにつれ数が増してきました。
被災した方々は、家族の安否を知りたくでも連絡がつかない状況、苦しい思いに駆られている様子が報道されています。
中には数日ぶりに再会できた様子が報道され、ほっとする思いに駆られます。
しかし、インフラが壊滅状態、水道、電気、トイレ、食料など日々の生活に必要なものを失っています。
家族を失い、かつ生活環境が劣悪なこんな状況でも、地域の人達が励まし合って頑張っていることを知ると安堵の念が湧きます。
海外からも救援の手が差し伸べられ、復旧に勤めていますが、甚大な被害がそれを困難にしている様子、改めて今回の地震の大きさに驚きです。
その凄まじさ、私の知人、友人、親戚にも被害が及んでいること、また取引先にも被害が出ていました。
これほど広域に亘っていることがその証左です。
今気がかりは福島原発の被害、炉心溶融など起り放射の濃度が高くなり、一円30キロ圏内は避難となっています。
東京電力の社員、※命を張っての対応、誰しもが初めての経験、現場では必至に作業しているのでしょう。
※ 3/30追記、現場で対応している社員、後のニュースで分かったことですが協力会社の社員のようです。
家族には「行かないで」と懇願されるくらい、危険な任務。
こんな状況、まさしく国難です。
これを乗り越えなければなりません。
先人たちが幾多の難局を乗り越えてきたことを思いを起こして。
この災害で国家組織の健全な面を知る事ができました。
政権運営でフラフラしているリーダーを担いで対処しています。
しかし、戦いはこれからです。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
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