毎月定期的に当社に訪れる営業マンの方、沖縄の出身者、沖縄の在来種アグー豚の話をしたら、その存在を知らなかった様子。
彼、小学校時代豚の飼育の経験があります。
私より7つ程下ですから、昭和30年代半ばの頃でしょうか。
ブログに書いた内容を説明して、ネットから写真を検索して見せてあげたのですが、彼が子供の頃飼育していた豚と様子が違うようでした。
この様子から、かなり早い時期にアグー豚は家畜として飼われなくなった事が推測できます。
たぶん彼が小さい頃、飼っていた豚は洋種の部類の豚だったのでしょうか。
パンダみたいに白黒の毛の生えた豚は記憶していると話していました。
飼育の経験から分かったことだそうですが、豚にも賢い豚、そうでない豚がいるようで、豚舎の囲いに使われる壁を背にして乳を子豚に与えるのですが、壁に挟んで潰してしまう親豚いるのでそうならないよう配慮しなければならない場合が有るそうです。
親豚は乳を与えるとき、平等に乳を与えるようにすると言っていました。
一度に多くの子豚を生みますが、成長過程で大きく育つ子豚、そうでない子豚と差が出来て、成長の早い子豚は出の良い乳を独占しがちになるそうです。
そんな時、親豚は乳の取り合いの時、成長がよい子豚が来ると、頭で払いのけて、成長の遅れている子豚を優先に与えるようにするというのです。
賢い豚、そうでない豚関係なく共通のことか確認しませんでしたが、
本当なのかなーという思いを感じましたが、経験者の話を信用しました。
豚は清潔好きで、豚舎はいつもきれいに掃除するよう親から言い付かったとも語っていました。
豚が清潔好きということは聞き及んでいましたが、そうなのかと納得しました。
いつ頃から勝手に家畜を屠殺出来なくなったかわかりませんが、密殺という言葉を使っていましたから、家畜を家々で処分することもあったのでしょう。
その方子供の頃鶏を潰す作業を親からまかされた経験があるとも言っていました。
鶏、イノシシは構わないそうです。
鶏の喉を切り、逆さにして血を抜き取り、熱湯につけて羽毛を抜き裸にする作業、今ではとてもそんな出来ませんとも話してくれました。
豚の飼育の目的の一つは収入を得る事があります。
体重が値踏みの基準となるようです。
一生懸命育てた豚を売らなければならず、手放す時の悲しさはとても辛いものだとそのをの思いを吐露していました。
ブログ「奄美民謡教室の新年会で」に書いた、民謡教室の会長さんと全く同じ心境のようです。
情愛は動物、人間、関係無く同じように通い合う様です。
また、畑の仕事、山羊の世話も労働の分担として課せられていたようで、
その時の経験も話してくれました。
子供ですから、遊びたい盛り、言い付かった野良仕事を終え、残った山羊の世話がありますが遊びを優先して怠けます。
子供心に山羊は喋らないから分からないだろうとの判断、さんざん遊んで家に帰ると父親から叱られます。
山羊は縄につながれて勝手に動けません。
腹をすかせてメーメー鳴くわけですから判ってしまい、「○○○、山羊の世話をしなかったな、晩飯は抜き」と罰を受けます。「わかったよ」と素直に従いますが、夜になると腹がグーグーなり空腹が襲います。
そうすると母親がこっそりと食事を運んできて「○○○、さ~お食べ、今後はちゃんとするのよ」と諭されます。
しかし、意地を張ってその日は食べなかったそうです。
それ以降、彼は人が見ていなからと怠けることは一切しないと自分に誓ったそうです。
日々の暮らしの中に人として学んでいくものがあったのだなーと感心し、
いいご両親だったですねと言葉を添えた次第です。
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