読書感想、「一度も植民地になったことがない日本」

何時だったか、構内の書店で購入した本「一度も植民地になったことがない日本」全部読み切っていなかったので、奄美民謡の稽古へ行く際、車中で読もうと思い立ちました。
スェーデン人と国際結婚された方が書いています。
はしがきの終わりに「本書を通じてヨーロッパのフツーの人々が日本をどう見ているかを知っていただくことは、あらためて自分の国を見直すきっかけとなるかもしれません。
そのお役に立てれば、とてもうれしく思います。」と綴ってありました。

ヨーロッパの国々は、大航海時代から、アフリカ、南米、アジアへ侵攻し植民地支配した国ばかり、スペイン、ポルトガルから始まって先の大戦まで続けていています。ヨーロッパ諸国、そのお蔭で現在の繁栄が築かれていることに思いを馳せ、以前から関心があった植民地という言葉が、その本を買わしたと思います。
確かに、読んでいるとヨーロッパの人々の、考え、思いを理解でき、思いのほか差別意識が強いことがわかります。

「ヨーロッパ人が見たオランダ人」
この項では、世界一ケチな国民はどの国の人か?
フランス人は「それはスイス人である」と言い、スイス人は「オランダ人に決まっている」と言う。こういう小噺がある以上、ヨーロッパの国々のケチのベスト3はこの3国であることは間違いない!
高校のとき英語の先生から、オランダ人はケチで、「割り勘」の事を「ダッチ・アカウント」と聞いた事を思い出しました。
著者もその話に触れていました。
他に「ダッチ・ワイフ」(代用妻)「ダッチ・ガール」(売春婦)など、イギリスはその昔オランダと敵対していたために、悪いことはオランダ人の行為として英語になったそうです。
ヨーロッパの国々、つい最近まで国盗り合戦をしていましたから。

今はEUとして通貨も統一し、仲よくしていますが、差別の思いは残っているのでしょう。
ヨーロッパ人の日本の印象と言うと「日本人はビジネスだけの国」というイメージが強い。本当に残念と書き、それはある一面だけなのに、イメージが先行し誤解される事を憂いていました。
エコノミックアニマルと言われ久しいですが、ヨーロッパでもそんな印象なのでしょうか。 

私自身は海外へ行ったことはありませんし、行きたいとも思いませんが他国へ行って見聞を広める意義がこの本から伝わってきます。
日本流気配りはヨーロッパでは通じないことにも触れて、考え方の違いを教え、さらに、寡黙より、雄弁でなければいけない、意見を言わない人はバカとみなされると書いています。
ヨーロッパで暮らす、働く時は言葉の戦い方を知る必要がありそうです。
60年代後半、ソニーが出した求人広告を褒めていました。
『英語でタンカを切れる日本人、求む!』
なんと具体的に企業が求める英語力の高さと胆力を表現していることかと。

著者、女性初のコピーライターと紹介されていますが、本にその感性がにじみ出て面白く読めました。
情報通信手段が発達していても、本質を見抜くには現地で暮らさなければ解らないことが
あるのだと知らされます。
価値観、文化の違いを克服することも、大変な作業だと感じました。

切り口が様々で私が気づかない視点を教えられますが、読んで一番興味深かかった文章がありました。
それは、「植民地になったことがない日本」の項です。
恐らく、著者が一番言いたかったことではないでしょうか。
「マスターズ・カントリー」と言う言葉を紹介していました。
ご主人様の国と言う意味だそうです。
タクシーに乗った時、運転手に問われた言葉、「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですが?」。
その返答に「日本は植民地になったことがないんですよ」
発展途上国の移民である運転手の彼女にとって、
「同じ有色人種なのに、なぜ日本人はマスターズ・カントリーの住人と同等に生活ができるの?」と思ったのではないかと。
やはり、ヨーロッパでは差別があるのか。
つまり、彼女のような旧植民地から来た人たちが住まない場所に住んでいることが彼女にとって納得しがたいことだそうです。
次に「ゲスト・ワーカー」なる言葉。外国からの労働者、特に旧植民地からの人達を指し、差別言葉にあたるもの。

彼女の夫が言った言葉が「アジア、アフリカで植民地にならなかった国は、・・・・どこだろうな? おそらくひとつふたつしかないと思うよ。昔は一般的には”日本、タイ、エチオピア”と言われていたけど、エチオピアは第2次世界大戦前、イタリアに攻め込まれたし。あとはタイだけだろうな」
「え?そんなに少ないの?」
「日本は運がいい。いや、運がいいのでなく頭がよかっただろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」
著者その言葉を聞いたときハッとしたそうです。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがなかったからだと書いています。

私は今の日本の歴史教育のあり方に不満があるのも、うわべだけで歴史の中で起きた出来事のいい点、悪い点と言った見方、考え方を教えていないように思えるからです。
フランシスコ・ザビエルのキリスト教布教の背景にそんな意図があったことも教えるべきです。
でなければ、国際社会に伍していける知識が身に付きません。
私は歴史に興味を持っていたので、社会に出てからそのことは学びました。
日露戦争でロシアの敗北が如何に、白人社会にとって衝撃的な出来事だったことも理解できますが、年表をなぞるような教育をやっていては世界の動静が読めなくなります。
植民地にはならなかったが、アメリカに占領され、それ以上のダメージは受けていると思います。形ではなく精神面で。
「ヨーロッパ人には有色人種に対して”ある感情”を持っている人々は今でも多い。それが表面に出てこないのは口に出さないからだ。」とも書いてありました。

 

「日本人の清潔さに驚いたバテレンたち」の項では、
「・・・・つまり彼等の真の目的はキリスト教布教とともに母国の領土を拡大することだった。つまり彼らは我が日本をもフィリピン、マカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。このことに興味を示す日本人が少ないのはなぜだろう。
だから信長に続く日本の為政者たちがキリスト教を恐れたのは正しい判断だったと思う。
もしキリスト教布教を認めたら、日本はスペインかポルトガルの植民地になっていたに違いない。
ローマ法王の名において政治が動かされていたヨーロッパに比べ、そのころの日本はすでに政教分離がなされており、格段に進んでいたのである。
そのうえ、日本に上陸したバテレンたちが驚いたのは、日本人の清潔さであったという。
バテレンたちはアジアの端の端に、今まで征服してきたアジア、アフリカ諸国とまったく違う、大文明国を発見したというわけだ。・・・・・」
だから当時の日本人、「南蛮人」(南から来た野蛮人)と彼らを呼んだのでしょう。著者が言っていました。
納得です。
政教分離がなされていた」とありますが、今の政治体制より健全だったともいえるのではないでしょか。

「我が日本をもフィリピン、マカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。このことに興味を示す日本人が少ないのはなぜだろう。」と書いていますが、私は歴史教育にあると思います。
スペイン人が中南米に侵略して、先住民がどれほど殺戮されていたかを知れば、信長、それ以降の為政者の判断に感謝です。そういう意味で政治家と言う職業は国の存続を図る大事な仕事に携わっていることを知らされます。
大雑把な集計ですが、コロンブスが到着した1492年の頃、1億1千万いた先住民が、インカ帝国が完全に滅亡した1570年には1千万まで減少しています。
友人が言っていましたが、「奴らは有色人種を人間と思ってない」とは、言い得ているのでは。
今でも国際社会は、弱肉強食の世界であることには変わりません。
それを理解し、対処の知恵を学ぶのが歴史教育ではないでしょうか。

参考資料 「一度も植民地になったことがない日本」 著者 デュラン・れい子 
     出版 講談社
     「侵略の世界史」 著者 清水馨八郎 出版 詳伝社

コメントが 2件あります

  1. 小ハセガワさんより2010年8月20日8:02 PM

    ご無沙汰しております。
    これはコメント残して置きたい内容でしたので、失礼致します。
    歴史をよくよく勉強しますと、如何に欧米諸国が酷い事をしてきたのかが分かるのですが、
    残念ながら現代日本の認識、とりわけ”世界史”観は欧米寄りになっています。
    ・”新大陸発見!”は原住民からしてみれば、単なる侵略にすぎない。
    ・なぜ、南米大陸の公用語は、スペイン語が多いのか?
    ・フィリピンの国の名前の由来は?
    ・アフリカの国境って、なぜ直線が多いのか?
    ・上海事変の経緯は?
    挙げればキリがありませんが(笑)、若い人たちには、歴史の勉強をもっとして欲しいと思います。
    ※追伸  私も清水馨八郎氏の著書を幾つか持っています。

  2. 上野2010年8月21日7:50 AM

    コメント有難うございます。
    仰るとおりですね。
    私は、歴史の学び方、高校生の時、齢70を過ぎていた先生から教えていただきました。
    中国史の例を挙げて、異民族間で覇権争いをし勝者が国を興すことが繰り返された。
    それによって、民族の特徴として約束を反故にする傾向にあると。
    国が変われば、規則、約束などはその度に無効になったためと説明されていたと思います。
    それを聞いてなるほどと思ったことが、歴史に興味を抱く切っ掛けとなったのです。
    その先生、授業も面白くよく脱線して、いろいろなお話をされていました。
    授業より、ためになりました。
    背は小さかったですが、威厳があり、その先生の授業の時は緊張感が漂い、印象に残っています。
    ノーベル賞作家を教えたことが自慢でした。
    今も、こんな先生いますかね。
    小ハセガワさん、後輩をしっかり鍛えてください。
    また、会いましょう。

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