自治体の財政問題

本年もよろしくお願いします。
毎年恒例の川越商工会議所の名刺交歓会に参加してきました。
300名ほどの方が参加していました。
国会議員、県会議員、川越市長その他行政機関の面々が名を連ね来賓として招かれていました。
副会頭の開式挨拶が済み、次に会頭の年頭挨拶と進み挨拶の中、サブプライムローン問題でアメリカ経済低迷と新興国中国、ロシア、インドの経済成長に触れて本年の商工会議所としての方針を打ち出していました。
次に司会者から、紹介されたのは川越市長で、次ぎのような川越市行政指針を話していました。内容は次の通りです。
最初に、川越市財政状態に触れ良好と報告、しかしながら全国的に見ると、経済誌ダイヤモンドに拠れば、783の自治体のうち400ほどの自治体が危ないと話し、夕張市の倒産の例を上げて自治体自体で活性化を図る必要性を説いていました。
具体的な施策として
○ 新しい市役所の建設
分譲方式をとり金をかけず建設との事
○ 長年の懸案 ごみ処理場の建設 230億円の予算
計画当初 予算は600億円だったとの事、安く出来るようになってよかったとの感想あり。イタリア ナポリの例のような「町にごみがあふれる」心配はないと明言していました。
○ 観光客の増加 1000万人を目標
昨年は500万人が来ているが、今年は3割り増しの見込み。
(観光課の弁)
○ 川越市西口整備事業の促進
○ スローガン 心つくり、夢つくり、人つくり
などを上げていました。
次に、国会議員が挨拶に立ち、国政レベルでの取り組みについて話があり、
労使関係のあり方を商工会議所の組織を使い中小企業の意向を反映させる。
10月の税法改正に向け改善をしたい等など。
県議会議員代表者も挨拶に立ち、景気は戦後最長の57ヶ月を記録したが、昨年は偽装、偽造など『偽』が目立った年と総括し、今までの市場原理、グローバル化を優先で動いていたことを反省し、共存共栄を目指すべきと話していました。
最後に税務署長が挨拶をし、川越市は申告件数が日本一ですと話し、電子申告、イータックスの普及を50%以上にしたいと抱負を述べていました。
話を聞く中で、市長が一番長い時間を使って抱負を語っていましたが、
財政的に安定しているので話にも元気があるなと感じながら聞いていました。しかし気になる話として県側から財政良好という理由から福祉財源の補助金カットを言われているので、知事と話し合いをし出来るだけカットされないようにしたいと話していたこと。補助金がもらえないと福祉が悪くなるのを心配しているのでしょうが、県、国も財政面では余裕がないのが現状だと思います。補助金に頼る自治体ばっかりでは、県、国にも負担が進みます。いつかは変えなければならないと事と思います。
危ないといわれている400ほどの自治体の長は、財政立て直しのためにどのような取り組みをするのでしょうか。やはり国に頼り補助金を出せと迫るのでしょうか。昔江戸時代中期、米沢藩の上杉鷹山が行ったくらいの財政建て直しをしないとダメなところまできていると感じます。彼は藩の武士の意識改革を基に一人一人に何をなすべきが訴え、財政を立て直しをしました。町、市、県に所属する住民達の覚醒と自覚がなければどの自治体も財政建て直しは無理と考えます。しかし現実、強力なリーダーシップを発揮できる長がどれだけいるでしょうか。
上杉鷹山の名は子供の頃から名前は知っていましたがどのような人かは知りませんでした。引き合いに出したのは、14年ほど前、作家 童門冬二さんが書かれた『小説上杉鷹山 (上下巻)』を本屋で見つけ、「リストラは心おこし、J・Fケネディーが最も尊敬する日本人」とのキャッチフレーズに興味を持ち購入し読んでいたからです。内容は鷹山が米沢藩の財政の建て直していく上でどのような取り組みをしていったかを書いてありました。その頃はバブル崩壊後、多くの会社が経営面で窮地に立ち、リストラ、リストラと騒いで人件費を削減していた時期で、作家はリストラのやり方に警鐘を鳴らす意味で出版したのではないかと想像します。
鷹山のやり方は、簡潔にいえば財政困窮から脱却するため、一人一人に現状打破の火種を灯すことを第一義に考え、心を奮い立たせ皆の力を合わせ成功した基は鷹山の『愛』だと書いていました。
こうも書いてありました。「こういう中で、上杉鷹山の改革は着々と成功していた。これは二百六十余もある日本の藩の中で珍しいことだった。」と。
あとがきに鷹山が残した『伝国の辞』についても触れていました。調べてみると次の三か条からなっていました。
一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有るまじく候事。
200年以上も前にこの言葉を残したことは組織が健全に機能するためにリーダーシップとそれに従う部下がいて成り立つ事と教えています。それは昔も同じだと言うことと思います。ケネディー大統領が尊敬するといったのも頷けます。
どこかの国の国会議員に教えるべきです。
最近、日本の素晴らしい精神文化が戦後は伝承されていないのではと思うことがあります。
一例を上げれば武道、武術の世界で残された精神文化<礼儀作法(用心深い所作 隙のない行動則)、精神(自律の心)>を大切にしていたのが今はスポーツ化し省みられない点が多々見受けられます。
覚醒しなければならない所まで来ていると考えます。
補記
鷹山をいつ頃知ったか記憶をたどると、小学校5年の時かと思います。
当時、九段上にいた小学校の友人から借りた本からではないかと。
戦前の本で、角が僅かに焼失していて、旧漢字で書かれていました。
友人が言うに、戦災で焼けたと説明を受けた記憶があります。
今思えば、修身の教材として使われた本ではないかと想像します。
いつだったか忘れましたが、童門冬二さんの講演を聞きに行った事があります。
講演の最後に、質問があればと言われたので、私は高校時代の先生のことを話しました。
質問として、私の高校の先生が戦前と比較し、戦後の教育制度は良くないと言っていましたがどう思われますかと。
質問の意図がどの程度伝わっていたか不安でしたが返事はこうでした。
『戦前は教育の中で個人崇拝の行き過ぎがあったが、しかし私は小説の題材として修身で教えていた人物を取り上げています。敗戦直後二宮金次郎の銅像を壊した先生もいて、銅像をたたきながら、これが悪いのだと叫んでいたとの話を話されていました。』
戦前は、二宮金次郎の銅像は小学校には必ずあったことは記憶しています。
童門冬二さんが鷹山、金次郎を小説で取り上げているのもその説明で理解しました。
亡くなった母は、よく私に山中鹿之介の話をしてくれましたが、修身で学んだ武将でなかったかと。
「願わくば我に七難八苦を与え給えと神仏に祈った武将よ!」
母は困難を乗り越える気概を教えたかったのでしょう。
偉人が歩んだ人生から学ぶのはいい事と思います。
因みに父は次の詩を座右の銘としていました。
「憂き事の なおこの上に積もれかし 限りある身の 力試さん 」
熊沢 蕃山(くまざわ ばんざん、元和5年(1619年) - 元禄4年8月17日(1691年9月9日))は江戸時代初期の陽明学者の作
晩年、父は習字を勉強していたので、その詩を掛け軸にしてもらい飾ってあります。
書家としての号は岳風、印までつくり押印してあります。
父母とも大正生まれ、戦前戦後を生き抜いた人は困難を乗り越えるのが当たり前と思い、それが人生と生きてきたのだと感じます。

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