12月12日、その日、私が所属している奄美民謡教室、稽古後に忘年会があり、午後10時頃の帰宅となりました。同伴二人、先生と会の先輩3人で電車に乗りました。乗り込むと座っている若者3人が我々を見て席を譲るというのです。そのような対応をされることが初めてなので、驚きと同時に多少なりとも抵抗感を持ったのです。他二人、わたしよりは年は上でしたから、わたしは対象外と思いつつも、3人同時に席を譲ると立つわけです。私もその対象になったのかなと感じました。「いや、俺そんなに年を食っていないから、いいよ!」とわたしは辞したのですが、先生が「そうですか」と受け入れたので、私も、若者の態度が清清しく、素直にその好意を受けました。
私も、車内でお年寄りには席を譲るように心がけていますが、譲られたのは初めてです。
私が彼等に発した言葉とやり取りの光景が、おかしかったのか乗客2人の女性らが私を見つめ微笑んでいました。なんとなくおかしく感じたのでしょう。私、自分では若いつもりで居ますからなんとなく抵抗を感じながらの受け入れです。席に座ると、目の前に私より年上と思われる女性が立っていました。直ぐに席を立ち彼女に席を譲りました。立つと同時に前の席に座っていた仲間のもう1人が、私に声を掛けつつ「座って下さい」と席をたったのです。その好意に感謝しつつも「いや、大丈夫だよ」といって断りました。
仲間4人が、席を譲る行為、反応良く動いていましたので彼等日頃から心掛けている印象を持ちました。
席を譲られた女性が私に言うのです。「今時、珍しい若者ですね」。私は「席を譲られるほど年は食ってないのですが」と返答すると「若い人から見れば、年寄りですよ」と返ってきました。「そうですか・・・」と答えました。確かに大学生風でしたから、40才以上は離れているでしょう。
まだ、若い積もりでいられる根拠は母校の合気道部の現役と稽古をしても、引けをとらないし、合気道は職人技的な面があり経験がモノを云い、長い経験を持つ私の方が遠慮しがちに稽古つける事がそんな気にさせるのです。
その方と車中会話をしていると、私と年は変わらないようなニュアンスがあったので、私戦後生まれですと話しました。私から見ると明らかに年上と感じましたが、そんな年の差は無い印象を持ちました。子供の頃ファンだった女優「千原しのぶ」の名を上げたらご存知でした。ほぼ同時代だなと察しました。
その方、先に降りる時、席を譲った若者に「ありがとう」と言っていました。
彼等に、「遊びの帰りか?」と尋ねると、「いや、勉強の帰り」と朗らかに答えてくれました。
真面目な学生と感じつつ、好感が持てる明朗な若者でした。
彼等が下車する時、改めて「ありがとう」と言葉をかけて別れました。
しかし、自分の年齢を改めて自覚させられる経験でした。
けれど、席を譲られたのは同伴者のせいではないかと思っています。
これからはこんなケースに出くわす機会が増えるのでしょうか。
自分はいつまでも若いと思っていても
わたくしたちが若い時
自分の両親より上だと歳よりに
見えるんではないですか?
それにしてもすばらしい若者たちですね。
皆様がそのような気持ちで生活できると
幸せですね!
ありがとうございました!この言葉はすばらしい言葉だと思います。
何事に対しても感謝の気持ちを持ちたいですね。
約1年前の出来事でした。
我々を見て席を譲るとき、躊躇無く席を立った行動が、
清清しさを感じたものです。
会の先輩は1級上、毛も薄かったので、
先生と彼を見て取った行動と思いましたが、
やはり、3人の学生から見れば、
年寄りと映ったのでしょう。
でもいい経験でした。
また、コメントお寄せください。