続 ヒト科の人(ヒト) 能(脳)力の低下が心配?

前回のブログの続きです。
書く気になった理由は、このブログを書き終えて間も無く、当社へ銀行の営業の方が
来られて、このブログを読んでもらい感想を話してくれたことによります。
彼の感想は、10年ほど前、テレビ番組で「最近、運動会なので走って、転んだり、躓いたりする人たちが増えている」と報じていたと話してくれました。理由として、畳の生活から、生活様式が西洋化して座ることが減り、足首が硬くなり、走る時、歩く時、つま先から先に降りてしまう様になったのが原因ですと説明してくれました。
ブログを読んで、タイトル通り、なるほどと思えたそうです。
そんな話を娘に言うと、彼女、テレビ番組で聞いていたことを話してくれました。
内容は、最近若い人たち、ラーメンを食べる時、すすって食べずスパゲッティーと同じ様にフォークに絡めて食べるのです、理由は、ひとつには汁が飛ぶのを嫌うらしいのですが、すする事ができない人達出てきたそうです。ラーメン店の店主はそれを見て不愉快な感じを抱いたそうです。ラーメンを食べる時、汁を絡めて食べるほうが麺の味も活きるからなのでしょう。というよりラーメンを食べるのにと違和感を持ったのでしょう。
12月初旬、先輩が主催する合気道講習会があり、同期の者と受講し昼頃に稽古が終わり、私が川崎に行く用事もあり、食事でもしながら時間を潰そうと上野へ行きました。
店に入り、注文をし、酒を飲みながらの会話となりました。その中で話題にのぼったのが「今の子は大きい声」が出せないと言うことでした。
彼はある高校の教員をして退職しましたが、嘱託の身分で合気道の顧問として今でも高校で合気道を教えています。
稽古中、気合を出すため「大きい声を出せと」いっても、照れるのか出せないというのです。
出させるよう、強要して指導すればと言ったのですが、彼、そんなこと強圧的にやったら大変と言い、今は諦めたと言うのです。昔我々がしたうようなやり方(大学時代やった合気道部の指導方法)をしたら問題になってしまうそうです。
父兄からのクレームとなってしまうのでしょう。
モンスターペアレントなる存在が今はあります。能力を伸ばしてやろうと思ってもし難い時代になったもんです。
会話の中思い出話として、学生時代我々二人、呼吸法を学ぶにはいい修行があるといわれて古神道の修行を経験しましたことがあります。彼が先に経験して私に薦めてくれたのです。3泊4日道場に泊り込んで修行するのですが初体験の修行を初学といい、一日8時間ほど約1時間ごとに僅かな休憩を取り、正座し鈴を振って祝詞の一部の言葉を大きな声を出し精神を集中させる修行です。時間の目安が線香2本分、まだかまだと線香の減り具合が気になり精神集中が始めはできなかったのですが3日目位から集中するようになりました。
声が小さく、修行態度が悪ければ先達という立場の者が、背中、膝を強く手で叩き戒めます。まさに難業苦行です。その時、確か10人前後の修行者がいて女性も1人いたと記憶しています。
2日目には落伍する者が2人ほど出ました。その人たちの脚を見ると死人の様に血の気失せ黄色く見えました。長時間の正座のため血の巡りが悪くなり痺れの痛さに耐えられなかったようです。
こんな修行の中、邪気を取る深呼吸、何時間でも声を出すことを繰りかえして腹式の発声が身に付いたのです。
この修行は宗教的には、己の精神を高めるためのものですが、私の目的であった呼吸法も学べたのです。
前回も言いましたが、ヒトはある意図を持って事にあたらないと能力は身についてこないということです。
 
以前、ブログでタイトル「気になること」で触れたのですが、ペンや箸の持ち方が正しく持たない人がいるのも気になっていました。
正しく教えなければ、身に付かない実例のひとつです。
不器用になってきているのかどうか分かりませんが、躾として注意されることが身の回りでなくなってきたのでしょう。
ですから、自然成長的に身に付けたペンの持ち方、箸の持ち方になってしまうのだと思います。
赤ちゃんのオシメを取る時期を見計らい、親は便所で排泄する行為を躾けます。
当たり前のようにしている事も、「ヒト」は教えられて身に付けたのです。
テレビなので授業を受けている様子を見る機会が有りますが、明らかに昔より姿勢がよくありません。恐らく今頃の先生は注意していないように感じられます。
私など、姿勢が悪く背中が曲がっていると、背筋をシャンと伸ばせと大人たちから注意されたものです。
日常の所作を大事にしなくなっているのでしょう。
当たり前のように身に付けていた動作、所作も「ヒト」は訓練が必要なのだと思います。
前回でも触れましたが、ヒトが人間として成長するのは後天的要素(教育、躾、訓練)により、社会人としての行動則、思考判断能力、価値観が身に付けられるのです。
この社会(集団、共同体)あらゆる人たちが支えあって生きていることが前提に有り、それに適う 行動則、思考判断能力、価値観を「ヒトが人間として」求められているのだと思います。
公徳心、道徳、などは躾です。社会性から言えば協調性、責任感、自主性、主体性など個人として確立が不可欠ですが、タガが弛むと人間の脳は勝手なものです。
2、3日前の新聞に一面に大見出しで、『子供は必要ない 42%』と報道していました。
この記事を見て唖然としました。
ヒト科の人として、何百万年の歴史をつないでいる「自然の摂理」すら蔑ろにする人たちがでてきたのです。本当に驚きました。「子々孫々の繁栄」を願う思いなど彼等は理解できないのでしょう。
20代、30代は6割と記事は書かれています。
20~30代の女性の理由は「自由や気楽さを失いたくないから」ですと、そんな言い草ないだろうといいたくなります。男性は非正規雇用者の結婚意欲の低さが顕著、情けなくて「何でー」と言いたくなります。男が男として成長していない証、そう言えば同期と飲んだ上野の店の女性店員さんが言っていました。「依頼心が強く、俺について来いというような男はいません」と。
人間としての自覚も身に付かず、「人」の責務を放棄しています。
我々の親の世代を振返っても、手鍋提げて、鍋釜ひとつでといいつつ所帯を持った人たちは大勢います。
国の成り立ちの単位は家族です。このままでは国自体が危うくなる可能性大です。
戦後、自由、自由と騒ぎ60年、その間に育った人々が利己主義になっていた証です
国、国家が成り立ってこそ、自分達の暮らしが成り立っていることを明らかに忘却しています。
勝手すぎます。自分達を社会が支えてくれているのに、国(共同体)とは「何か」としっかりした国家観が彼等の「脳」に育まれなかったのでしょう。
そのシンボルとしての意義がある、国旗を掲げるか掲げないで騒いでいる国では無理なのでしょうかねー。
教育をする立場の者が、そんな認識、教育できるわけもないかー。
小学校の恩師が寂しそうに言われた一言を思い出しました。
「敗戦するということはこんなにも国を変えてしまうことなのですね」
※(「修身とは」)のブログ書く際、修身の授業の詳細を教えてもらうため、お電話して会話する中、仰ったお言葉です。
「能(脳)力の低下が心配」と、そんな傾向を感じるこの頃です。

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