当社社員の欠勤がこのブログを書く発端になりました。
その社員に会社を休んだ理由を聞くと、「友人の葬式に行きました」と返事がありました。亡くなった人は誰と彼に聞くと同級生だと言うのです。
彼はまだ30歳代後半の年齢です。私が驚いていると更に続けて、ここ数年で同級生をガンで4人ほど失っていると言うのです。本当かと聞き返し絶句しました。
この話が本当だとしたら、あながち耳にしていたことは言い当てているのではと感じたのです。
かなり前から、日本人の食生活が欧米化して問題視する向きがありました。
『食生態学』という分野の学問を唱えた、西丸震哉氏(この方、平均寿命41歳説を唱えています)が『食生態学入門』という本の中で書かれています。
「日本人の食生活が欧米化に変わっていったのは東京オリンピック以降で、今まで日本人が摂取してきた栄養とは大幅に質が変わって良くないと。」
私が子供の頃は、魚、野菜などが主に食材に使われ朝食は豆腐の味噌汁、納豆、漬物が定番と記憶しています。味噌汁には出汁に使った煮干が入っていました。
私はこれは嫌いでした。
この頃は、魚より肉を食べる割合が増えているし、スーパー、コンビニで買ってくる加工食品が家庭料理の中心となっているようです。生活環境の変化から子供に手作りの料理を食べさせられない家庭も多いようです。
身体作りをしなければならない子供時代に、このような食生活は良いわけがありません。
欧米化の何処がいけないのか考えますが、アメリカで日本食である寿司、豆腐、醤油などが普及していることがその答えと思います。
家族団欒の中、お母さんの手作りで、東京オリンピック以前の食事メニューに戻すのがよい食生活と思います。
ある有名ホテルの料理長が言っていましたが、料理は思いを込めなければおいしくならないと。料理の基本は愛情、母性です。
最近、「食育」などと言って食生活の乱れに警告を発しています。
だいぶ前の話ですが、ロケット博士で有名な糸川英夫さんは講演会で老人問題を語っていましたが、日本人がこのままの食生活だと何れはその問題も、寿命が縮まり無くなるでしょうという発言もされていました。
年金問題が騒がれていますが寿命が縮まり、受給年齢に達する前にあの世に逝く人が多くなるのではないかとつい推測してしまいます。
現在は日本人の平均寿命が延びて今では世界一です。しかし戦前は50歳に至っていませんでした。
だいぶ前ですがあるテレビで、戦前昭和15年頃、アメリカが敵情視察目的で製作した日本の日常風景を紹介した映画を放送していました。その中で平均寿命が49歳と何ヶ月で、死亡原因の一番が結核と放映していた記憶があります。
私の記憶ですが、昭和21年の新聞記事に交通事故で亡くなった女性42歳を「老婆」と記述していました。当時、平均寿命を考えれば当然の記述だったのでしょう。
薬、医療技術の進歩が平均寿命を上げたのでしょう。
戦後間もない頃は、結核は不治の病でした。占領軍が持っていたペニシリンで助かった人も居たことを記憶しています。
最近、わたしの友人が動脈剥離で緊急入院しましたが、運良くたまたまその手術を出来る先生が居たお陰で助かったそうです。いなければあの世行きだったとの事。
この病気だって戦前だと間違いなく死んでいたでしょう。
平均寿命をどのように計算しているかわかりませんが、今長生きしている人たち(大正、昭和初期生まれ)は間違いなく日本人としてバランスの取れた食生活を経験された方々とおもいます。流通が今ほどに進歩していない時代ですから、近くの地域から取れるもので食生活していたでしょう。今風に言えば有機栽培の野菜、果物、産地直送となる食材が主なものと想像できます。
現在、そのような食事を摂ろうとしたらさぞかし食費がかさむことでしょう。
現在の食事と比較すれば粗末なものと思うでしょうが、それがよかったのです。
昔テレビで、経団連の会長をしていた土光敏夫さんの暮らしぶりを紹介する番組を見ました。裕福なのに、朝の食事のおかずがメザシで質素な生活ぶりと紹介していましたが、今思えば子供の頃の食生活がそのようなものを食していていたのでしょうから、好きなので食べていただけだと思います。
私は、おふくろが良く食べさせたジャガイモ、サツマイモ、カボチャなどは飽きずに食べます。
私が子供の頃は、都市部でJR飯田橋駅のそばで生活していましたが、千葉から行商のおばさんが食材を背負い売り歩いていました。わたしの家にもよく売りに来ていたので、今から思えば新鮮な食材を使った料理を食べていたのでしょう。
私たちの年代までがある程度健全な食生活を経験できていると思うのですが、いかがなものでしょう。
東京オリンピック以降生まれた人たちが40歳代前半となっています。
社員の同級生がこの時代に該当しているので、冒頭に書いた『あながち耳にしていたことは言い当てているのでは』の記述となったのです。
朝食をとらない子供が増えたとマスコミが騒いでいます。
これからは、教導していく上で、『知育』『徳育』『体育』の他に親に『食育』を教えなければならない時代となりました。
昭和57年生まれの私は、この年代にしては珍しく4人兄弟でした。
そんな環境だった為か食に関して、親の躾は厳しかったと思います。
私が中学生くらいの頃の話ですが、茶碗に付いた「ごはん粒」を
全く採らない友人がいたので、指摘すると
「だって貧乏くさいじゃん」
、、、衝撃を受けました。
それは、貧乏だろうと裕福であろうと関係ないだろうと言いましたが、
その後はどうなったか分かりません。
「食育」をしない親がとても多いのだと思います。
子が「ごはん」を食べないから「お菓子」をあげてしまう親だったり、
殆ど野菜が食べれない子であったりと。
子供が二人いるのですが、好き嫌いなく食べさせています。
勉強はあまり教えられませんが、こういった事は教えてあげよう
と思います。
食糧難、飢餓などない時代に生まれ育った人たちが、
親になる時代だからでしょう。
それでも、おかしな親が出来てしまいましたね。
言われる通り、
>貧乏だろうと裕福であろうと関係ないだろうと
関係ないですよ。
米という字をばらして、八十八の手間をかけて、
作られると親から教わり、米粒一つ粗末にしないよう、
私も躾けられました。
躾け、礼儀作法などが、
劣化が進んでいますね。
コメント有難うございました。