この言葉を本で知ったのが27年ほど前のことです。最近、奄美民謡教室で起きた出来事がその言葉を思い出させてくれました。両親が奄美諸島、喜界島の出身、戦前上京してこちらで暮らしていましたが、親戚、知人が集まると民謡島唄を唄っていたので、その影響もあり私は4年ほど前から、奄美民謡を習い始めました。
私の教室の先生の先生にあたる立場の方が、上京しているから唄遊び会〔方言では唄あしびと発音〕を開くので参加してくださいと先生が生徒達に呼びかけ15人ほどが参加して始まりました。
唄遊びを始めるにあたり、その方が経験談を話しました。
昭和40年頃、奄美でも、民謡島唄に関心を持つ人が少なくなりこれではいけないと、当時の唄者(民謡を上手に歌える人をこう呼ぶ)が集まり、発表会などを開いて普及活動をされたそうです。それにより若い方たちが民謡に関心を持つようになったとの事です。
全国的な民謡大会などで奄美出身の唄者が優勝するようになりました。
最近では、奄美出身で奄美民謡の調べをモチーフにした歌手 元 ちとせなどが知られていますし、中 孝介がメディアから注目されています。
しかし、その方から見ると、島唄を唄うにあたって昔から、しきたり、慣習があるにもかかわらずそれを踏襲されていないのが残念だと嘆かれていました。
祝いの席で、悲恋物の唄は絶対唄ってはいけない。唄遊びを始めるとき、島唄を唄う順番がある。奄美民謡は琉球、薩摩の支配下に在った時、苦しく、悲惨な生活の中から生まれてきたもので、歌詞にはその時代の生き様が詠まれ人生訓にもなり、文化になっていると。例として、確かに目上、お年寄り、ご先祖を敬う歌詞など多々見受けられる。
島唄の演奏は蛇皮線(サンシンとも呼ぶ、本土では三味線)を使って唄うからこそ奄美民謡であり、他の楽器での演奏は島唄ではないと言い切りました。また、伝統的な唄の節回しなども壊れている現状が心配とも言いました。。
皆さんには、正しく教えますから大切に守ってくださいと締めくくりました。
会に参加していた70歳前後の女性がその言葉を聴き、同意の意味を込めて、『時流に流されず、組織につぶされず』と城山三郎氏の言葉を引用しました。その女性は、身体が不自由なので民謡教室に来ても、稽古はせず、島唄を聞いたり、教室の雰囲気を楽しむ目的で通われています。引用したその言葉に印象から意外性を感じ、後でその方のされていた職業を知り納得をしました。学校の先生をされていたそうです。
引用された城山三郎の言葉が『不易流行』の言葉に結びついたのです。
不易流行は松尾芭蕉が説いた言葉だそうです。
不易とは「時代を超え、環境を越えて変えてはいけないこと」、流行とは「時代とともに、環境とともに変えていかなければいけないこと」。
その本は、経営指南書として書かれていましたので、企業経営にあてはめ、この言葉の説明をしています。
企業にとって不易とは何か。
一つに、創業精神、イズムを上げたい。二つは、経営の原理・原則、三番目は、基本である。
流行は、第一は、ものの見方・考え方-意識革新・第二は、仕事の仕方・進め方-行動革新。第三は、組織・体制-システム革新。と!!
この言葉は他にもあてはめることが出来ます。
不易でいえば、唄遊び会で聞いた話に同感します。
社会にあてはめてみると、最近教育再生が叫ばれています。
教導してもらう者は、先生を敬うと言うことが不易と思いますが、いつからかフレンドリーに変わり先生の威厳が無くなりました。昭和30年頃アメリカ映画で『暴力教室』と言うのが有りました。グレン フォード主演で悪がき高校生との戦いを描いた映画です。この映画を知ったとき、アメリカは先生の言うことも聞かないのかと驚きましたが、今ではこんなこと日本の学校では当たり前になっています。
私の経験で言えば、生徒が先生に対し友達意識(簡単に言えばナメられている)では言うことを聞きませんし、注意しても聞く耳を持たなくなるのではないでしょうか。私が小さい頃、また親も同様、先生を先生と思うから勉強しなきゃと考えるし、注意などに素直に従ったのだと思います。卒業後、小学校のクラス会で先生から聞いた言葉があります。『つねちゃん(小さい頃の呼び名)!先生と言う職業は自らを律することなの』と言っていました。この先生は生徒を我が子ように思い、接してくれた記憶があります。今の先生にこの言葉を聞かしたいです。今思えば、師範学校出身の先生ではなかったかと。
女性自ら社会進出が大事と家庭におらず、子供の面倒を見ない。母親はいつも、子供のそばにいてこそ母親になるのに。親子関係も不易と思います。
戦後日本は、不易なことをアメリカかぶれして、大切なこと見失っていると思います。道徳面でも如実に現れています。一例ですが私が住んでいる町で、悪がきで13歳までは何をしても捕まらないと吹聴している子供がいます。そんな子供の親に限って、警察からの連絡を受けても知らん振りで子供に注意しないそうです。
変えてはならない秩序というものがあるという事だと思います。
不易な面だけに話題は集中しましたが、私の思いの中に、今までの経験からそうさせているのだと感じています。
私の立場に置き換えて、あらためて自分自身の不易は何かと考えたいと思います。
※ 不易流行 芭蕉の俳諧用語-不易は詩の基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠から出るものであるから、根元においては一であるという- 広辞苑より
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