前回、ブログでISOについて記述しましたがその中で、モノ造りの基本はヒトと言いました。
私自身、職人芸、職人技と言う言葉に魅力を感じる一人です。
テレビ番組でその内容の放送があれば興味を惹かれ観ています。
本も同様です。
今から6年ほど前に出版された『失われた手仕事の思想』と言う本を数年前に見つけ、購入し読みました。
本の帯には職業的倫理観など「職人」を通して現代日本の根本を考え直すと印刷されていました。
この文が、本を買う動機となりました。
様々な手仕事をする職人さんを紹介していく形で本は構成されていました。
最初は福島西郷村の野鍛冶が取り上げられて、その仕事振りを書いています。
当然ながら、今風に言えば鍬、鋤などはオーダーメイドです。
使う人の体型を考慮し、使い易いモノを誠心誠意つくりそれを本分として仕事をしている事が書かれていました。
これを読んで、思いついたことがあります。
同じ地域に住み、作る側も使う側も顔見知りの関係です。
いい加減な仕事をすればすぐにわかり職人として恥をさらすことになります。
従い、職人も誇りにかけていい仕事をしなければなりません。
そんな関係が仕事に強い責任を持たせ、仕事を続けていくうち職人魂が植えつけられてくるのではと!。
昨今、度々テレビなどで欠陥住宅が取り上げられています。被害者が多大な迷惑を蒙り泣き寝入りするケースもあるようです。
家を造ると言うことは形として残るわけです。当然いい加減な仕事であれば住んでいると判ってきます。
例えば雨漏りがする、扉がしっかりと閉まらない、床が軋むなど。
出来栄えが証拠として残る仕事なのに、何故欠陥住宅がなくならないのかと考えた時、前述した「作る側も使う側も同じ地域に住み顔見知り」と言う関係に無いのが原因かと!。
建売住宅など、出来上がった家を見るだけで購入を決めていますが、それも一因では。
しかし、それも信用しているからではないでしょうか!。
後は野となれ山となれ、欠陥住宅を作る人達には倫理観などを持ち合わせていないのでしょう。
このような事例が示すとおり、この本の著者は今まで伝統的に培われた「もの造りの精神」が失われていくのを憂い、自分の仕事に責任を持ち、仕事の本分尽くすと言う精神が職人に当然のように有った時代から変わってしまい、あらゆる分野で職業的倫理観が失われていくこの日本を心配しているのでしょう。
私もこのブログで書いている通り、モノを造り提供する側の不祥事が絶えません。
閑話休題
昨年ケーブルテレビで『大工太平記』と言う映画を観ました。
東宝映画、主演 森繁久弥 昭和30年代の映画です。
物語は、昔ながらの頑固な棟梁を森繁久弥が演じ、息子役に藤田まことが出ていました。
昔気質の工務店の商いをする親父と時流に合った経営をしようとする息子との対立を描いています。
映画で、森繁演じる棟梁が新聞を読み、今建築中の注文主が政治家で賄賂で受け取ったお金で建ているとわかり、怒りを発して、自分が建ているその家を壊しにいく場面がありました。
頑固一徹、昔ながらの棟梁と自分の仕事に誇りを持っていることがその場面に出ていました。
観ていて爽快になりました。
私の小さい頃、身近にそんな人がいたような気がします。
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